2018年2月5日 伊勢産地研修旅行 報告 | ||||||||||||||||||||
今回の産地研修は、三重県の風光明媚な志摩半島にある、かつおの天白(まるてん)さんに行きました。太平洋を見渡す広大な景色と、江戸時代より続く歴史ある燻し小屋に、かつお節の味に、参加者一同感動しました。 (参加者24名) ▲伊勢の海 ▲かつおの天白いぶし小屋前で 参加者一同と天白幸明さん |
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【日 程】2018年2月5日(月) >参加の皆さんの感想 | ||||||||||||||||||||
【天白幸明さんのお話】 |
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◆かつお節の思い出 18年ほど前まで、かつおを三枚おろしをする生切りだった。私は朝3時に起きて、先代の親父と喧嘩をしながら、これを切っていたんです。一本釣りのかつおを揚がった瞬間に生切りをして、なまり節を作って、5時ぐらいから燻しにかかる。7時に出来上がったなまり節を、市場に届ける。現金収入が入った時代です。生き生きしてました。家内と二人でね、親父と作ったなまり節を軽トラに100本も200本も積んで、お昼休みに行商に行ってたんです。 |
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◆かつお部位別
小さな魚体のものは三枚おろしのまま燻しますけど、大きなものは背節と腹節と分けます。 基本的に背中の部分の節というのは脂っ気が少ないですから、京都の茶懐石に使う澄み切ったお出汁を求めるところに我々は提供します。一般家庭ではお出汁にはちょっと贅沢だなぁいうところですね。 お腹の部分、お出汁が濁りますけど、パンチがあって美味しい。味噌汁とか煮物にはこれで十分なんですね。 こんな風に、部位々々で使い分けて貰うとお出汁も効果的で経済的だと思います。 |
▲燻し小屋の様子 |
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◆かつお節工程 真黒なかつお節を荒節と言って、よくスーパーで売っている花かつおです。 この荒節の状態に来るまでだいたい約1ヶ月。一日に一回程度、朝一番に一時間半程度、燻し作業をします。これを一ヶ月続けるとどんどん縮まってまいります。 この荒節の状態、この大きさで、水分が20%〜18%まで縮んで来ております。では元の大きさは5倍なんですよ。大きいでしょう。 頭落として、内臓を取って茹でるだけで、ぐっと縮む。水分を取ると腐敗から守る事になる。速効で茹でて腐敗から守る。 その後、綺麗に骨を取って燻しに入る。で、一回だけの燻しだと生節という、真空パックになった状態。 1ヶ月たつとカチカチ。それがグーと縮まって凝縮される訳です。 これ以上燻しても硬くならないところで、初めてカビ付けに入ります。かつお節は身を縮めて売ってますので、儲からないですね。更に身を削って提供する。大変な作業です。 |
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▲力説する幸明さん |
普段は5列全部火入れしています。 竪穴式と言って、この形式は実はもう全国で10軒しか残っていない旧式でございます。 かつお節はだいたい江戸の後半かその前から出来あがったと言われます。我々、「なきり」という所は、かつお節になる前の原型の物を作っていた場所なんですね。 江戸の中期に完成した手火山製法。薪をくべて、直火で燻す方法をとっています。だいたい、セイロを5段から8段位に積み上げた物を1日に一回 1時間半程度燻し、一晩冷却させる。そうすると、次の朝、露がべっとり付きます。これを取り除く為に同じように燻しを繰り返します。冷やすということをちゃんとやらないといい燻しにならないですね。 |
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◆かつお節の原料 先人の知恵なんです。皮を残すと出来上がったときに皮の所がツルツルしているのは中に脂が無い証拠なんです。魚の魚質を見極めるために皮を残しているんですね。 脂があると人間で言うとニキビ顔と一緒で、そういう物は売り物にならない。小さくても脂の無い物を選ぶ。 一番怖いのは、3月11日の原発事故以来、我々は、日本近海の一本釣りが一番美味しいと知っていたからそれを使い続けてきたんですが、風評被害とかでやっぱり使えなくなってしまいました。もちろん1本釣りが減ったということも理由ですが、残念ながら諦めました。今はインド洋とかパプアニューギニア。遠洋漁業の一本釣りを瞬間冷凍かけて運んでもらっています。 |
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◆神棚 こんな煙い所の神棚、右側に、伊勢神宮の内宮さん、外宮さんの中心部に祭られている「風日祈宮(かざひがのみや)」という風の神様を祭らさせていただいております。 私は昭和34年生まれで伊勢湾台風の時、母親がここに畳を十枚ほど積み上げて、朝まで私の命を守ったらしいんですね。 そんな話をしてたら、ある大学の教授に「台風シーズンは大変だから、風日祈宮を祭った方がいいよ」と言われました。 去年も伊勢湾台風と同じコースの大きな台風が、大王崎の燈台まで近づいた瞬間に、すっと南をかすり、全然怖くない北風に変わった、嘘みたいな本当の話です。台風の南風以外は非常に自然に恵まれた、いい場所で、100年ぐらい経つボロボロのいぶし小屋ですけど、守って頂いているのかなあ。 ブルーシートがいっぱいで毎年どこか修繕しないといけないんですが。皆さんに買い支えてもらわないと、もたないです。よろしくお願いします(笑) |
▲手火山製造で燻されるかつお節 ▲風の神様が祭られている神棚 |
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◆特別なカビ付け部屋 ここはカビをつける室(むろ)部屋でございます。 ここも大学の先生が「天白さんのとこのかつお節のカビというものは、どこで培養した物を購入してスプレーで振ってるんですか?」とこうきたわけです。恥ずかしながら、私自身が先代の親父、お爺ちゃんの時代から習ってきたのは、ここに寝かせる事だけです。 先生曰く「そんな希少価値の物、今無いよ。たとえ本数少なくてもいいから、ここで寝かせてカビを付けたものを神宮に持って来い」とおっしゃっていただいたんです。 まだちょっとカビは青いですけども、あと3ヶ月、4ヶ月すると段々と色が変わってきます。左側のドカ部屋、修繕で新しい土壁を塗って、3年ほど待ちます。そうしないと、菌がつかない。それの繰り返しですね。またストーブで炊いて、部屋の温度を上げて、蒸気を入れて管理する。もう本当に原始的でございます。旧式を守るのは、絶対効率悪いです。 |
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▲扉の奥が撮影禁止のカビ付け部屋 |
◆本物のお出汁 京都の茶懐石の料理人さんに「天白さん、お出汁は、すぐに出るのではなくて、2日目まで煮込んでみたのを、最後の一滴まで飲み干せるのが、本物のお出汁」と教えていただきました。 いまのお出汁は塩分が多くて飲めない。京都の料亭のやつはいくら煮込んでも最後までちゃんと美味しくいただける。 これが今皆さんが飲んでいただいてる、昆布とかつお節だけです。 |
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◆伊勢神宮への奉納 伊勢の国は御飯(みけ)つくる伊勢神宮のお膝元です。昔から伊勢神宮の一番重要なお仕事、五穀豊穣、一番美味しいものをお届けする「神嘗祭(かんなめさい)」に奉納するための物作りをここでやってます。 20年前まではわらじに履き替え、神様に尊厳の意味を持ってお届けする物を作ろうとやってきてたんですね。 「御飯(みけ)つ国」という言葉を聞いたことありますか?もっとわかりやすく言えば、「御神酒(おみき)」。「おみき」と「みけ」は同じです。 あのヤマト姫のミコトさんが15〜600年ほど前、ここまで足を運んで鎮座したのが伊勢神宮で、天照大神を祀った。この神様に食材を提供するという仕組みを作らなくては。 伊雑宮(いぞうぐう)という別宮がございます。これはお田植え祭(おたうえさい)と言ってお米を作るんですね。 伊勢の神様にお米だけ届けるにはもったいないという事で、二見浦の塩、鳥羽の久崎(くざき)の黒あわび。熨斗紙の原型ですね。これが出来た訳です。我々の地元大王崎の波切では魚。鰹。かつお節を作って持って行こうということに。これをとりまとめたのがこの伊雑宮という所です。 「神饌(しんせん)」という言葉はよく聞きませんか?これが「みけ」です。これを提供する場所が「みけつくに」なんですね。こういった物を何と千五、六百年ほど前から、1日2回のお食事を一日も欠かさず伊勢神宮は守っている。 |
▲御飯(みけ) ▲番付表の説明中 ▲古い風景画に描かれた いぶし小屋とその周辺(絵右) |
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▲江戸時代のかつお節番付表 赤枠で囲った所に「志摩 波切節」 |
◆なきりのかつお節 日本中からグルメのものが江戸に集まってきた時代。かつお節にランクをつける番付表があります。江戸の庶民たちは日本中のかつお節の味を知り尽くして、ランクをつける程、舌が肥えていたようです。 今の我々以上に敏感だったってことかもしれませんね。 じゃあ、このランクを誰がつけてたの?というと、当時、一番権威を持った役どころ、行司役に、なんと我々のご先祖さんが出てきたわけです。志摩の波切節って出てきたんです。 私ね、20歳の時に学生時代に図書館でこれ見ちゃったんです。これさえ見なければ。(笑)これを見た瞬間、スイッチが入っちゃった。これはなくすわけにいかないだろうと言って、勢州いう地名が出てきた。 江戸時代の伊勢志摩の産地のかつお節が、なんと、日本中の行司役としてランクを決めていた。 |
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◆絵描きの町 最後になりますね。 この波切というところは、絵描きの町として有名でございます。 僕一番嬉しかったのは残っている風景画に、赤い煙突が見える、茅葺きです。 これが大正時代のこの燻し小屋の原風景ですね。こういった燻し小屋が100軒以上、ずっと昭和の初めまでここにあったんです。 常に火の番をしないといけないということもあり、今3軒しか残っていない。 一大かつお節産地が、この英虞湾の内海で、あの御木本幸吉が、真珠養殖を成功して、途端に、みんな浮気心で真珠養殖に変わったんです。産業革命だったんです。 この時も天白家は取り残されたんです。(笑) これがほんとに残念。大きなチャンスを2回逃しています。 |
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▲炊きたてご飯に、たっぷり かつお節をかけ 参加者を接待して下さる天白さん御夫婦 |
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【参加者の皆さんの感想】 |
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