フェスタ報告


未来ネットでは、毎年会員の皆さんと、安心な食べ物や暮らしの情報、環境問題などについて、 生産者を招きミニ講演会を開催しています。
08年は、「味見deフェスタ」と題し、取扱い品の応用例他を試食しながら、5会場で実施しました。



味見deフェスタ2008報告
     ★10/ 1 漬物本舗「道長」   石川豊久さん・貴架子さん
★10/10 ミルクファーム蔵王 佐藤ひろ子さん
★10/17 白扇酒造        加藤孝明さん
★11/14 有機ハートネット   西尾勝治さん
★12/ 4 舘養蜂場        舘 正浩さん・時子さん


添加物はいらない こだわりの調味料から本物の味 
  2008 10/1
日進市民会館

漬物本舗 「道長」
 石川豊久さん
 石川貴架子さん
 
《 創業27年 後継者もできました 》
 漬物屋を始めてから27年程経ちます。始めた頃は問屋やスーパーの野菜や醤油で漬物を作って、出張販売をしていましたが、 本物を作りたいという気持ちになり、素材も吟味し、製造一本にしました。
 宝飯郡は宝の飯と書き、音羽町とはトンボの羽音という意味で、 すごくお米作りに良い名前だなと13年前に仕事場を移しました。今、総員6人で息子も一緒に仕事をしていますので、安心しています。
 最近の食で気になる事として、 ニンニク、しょうが、にんじん等香辛料に放射線を照射しようとする動きがあります。菌も死滅するが、野菜も死んでしまう。食の安全というのは、 『危険なものだけを取り除いたら安全だ』という考え方は非常に間違っていると思う。また事故米事件では、一握りの悪意ある業者或いは役人などのせいで、 食の安全が蔑ろにされている。どうしたらいいのかが一番問題だと思います。
《 生産者・生産地の紹介 〜素材へのこだわり〜 》
 かりんとうの小麦は音羽の生産者鈴木さんからいただいており、愛知県の小麦で農林61号の中力粉です。小麦の農薬使用量は、 北海道で14回、愛知県7回。音羽は3回で種子消毒も温湯です。今後、消費者の力が及んでくれば、もっと減農薬になって行くと思います。
 麩屋藤(ふやとう)商店はつれあいのお在所です。地元のもち米と小麦を使い麩を作ってもらっています。
 わっぱ知多共同事業所は、小さな機械で職人さんが毎回毎回粉の様子を見ながら手作業で小麦粉を挽いています。
 飯田の矢作農園さんは減農薬にも取り組んでいるりんご農家です。キムチ鍋の素にかなり入っていて、りんごは非常に甘い美味しい味が付きます。
 カクトウ醸造さんは、杉樽を使い、昔ながらの漬け方・仕込み方のお味噌です。キムチ鍋の素に入っています。
 神谷製菓さんは岡崎市のお菓子メーカーで、地粉かりんとうの製造者です。部屋の温度、風のあたり具合に注意しながら音羽の小麦粉で、天然酵母を練り込んで膨らませるのは職人仕事です。 つぶ塩かりんとうは特にこだわり、高知県の天日塩を塩粒が残る様に練り込んであり、噛んだ時新鮮な海の匂いがして、本当に美味しいです。
 うちの漬け物には天日塩と決めています。海塩も、平釜で煮ると塩辛くなってしまい漬け物に使うと塩角が気になります。カンホアの塩は、 ベトナムのホーチミン市の北側が産地で、本当に水のきれいな所です。海から水門で、一こまずつになっている塩田に引き入れると、 どんどんどんどん海水が濃くなり最後に結晶します。 セラミックのタイルが敷いてあるので、泥と混じりません。風乾燥させ、熱がかからないように石臼で粉砕します。 日本人スタッフが行き来しており、対応がきちんといくと思い変えました。
 かりんとうと一部漬け物に使っているのは、ソルトビーという完全な天日塩です。国内で、量産が出来る天日塩を作っているところは非常に少なく、手も掛かるし高価です。 本当に貴重品で、使い方も難しいのですが、なるべくこういう塩を使いたいと思って、去年の年末頃からソルトビーだけで白菜漬けを作りました。良いお塩を使うと良い味がします。 ですから、道長でも調味料にこだわっております。
《 漬物と添加物について 》
 「漬け物」というと、箸休めに良く発酵食品で身体に良いと思われがちですが、市販の漬け物はとにかく添加物が多い。 「アスコルビン酸、ソルビット、酸味料、着色料、漂白剤」等たくさんあります。どうして添加物を使ってたくあんを漬けるかというと、価格の問題で、中国から常温で、 塩が結晶するくらいに詰めて大根を輸入します。炎天下でも一ヶ月くらい腐らない大根をたくあん漬けにするわけです。このままでは塩辛いから水で塩抜きをしますが、 味が全部抜けて歯ごたえだけなので、添加物で全部味を付けちゃう。甘味料や酸味料等いろんな濃い調味料の中に漬け込むと、元の体積の4倍位になります。本当に添加物漬けですね。 塩分を抜くから、保存性が低くなるので保存料を入れる。だから日持ちもしますが、あまりよろしい物じゃないですね。
 毎年、梅干しを漬ける方はありますか?会員さんで、梅干しを漬ける方が多いということは、かなり意識が高いなと思います。梅干しの塩の量ですが、昔は2割でしたが最近は塩分を気にしますから、 市販ですと4%の物まであります。すごく減塩でいいと思うんですが、非常にマジックです。大きなタンクに梅と2割以上の塩を一気に入れ重石をすると、当然梅酢が上がるんですがやっぱり塩辛い。 この梅も塩抜きしますから、せっかくの美味しい味が飛んでしまい、クエン酸、有機酸、ハチミツ、砂糖、もちろんアミノ酸やグルタミン酸ソーダを入れたり、カツオ風味とか付けます。 大量に梅干しを作ろうと思うと、実が崩れないよう固い青梅を使いますが、甘みがないので砂糖とかハチミツを入れるんです。完熟梅を漬けて干すと、にじみ出て来る梅酢はトロッとして、 舐めてみると甘い。自分で食べても美味しいよう、手間をかけて漬けています。梅干しなんかは、毎日一粒食べると整腸作用があり、栄養学的には理解し難い程パワーがあると言われています。 皆さんも梅干しを、しっかり食べて頂きたいと思います。
《 何故いけないの? 添加物 》
 添加物は漬け物に限らずハム、練り製品も多いです。例えばお弁当に添加物を入れましょうという親がいますか? 絶対いないと思うんですよ。 自分で作った料理をごまかしたくないし、僕に言わせると反則技です。全部、業者の利便性と経済性のために使っています。これは農薬も一緒です。草を取るのが 面倒くさい、 虫が増えて野菜が汚いと売れないからと農薬を撒く。化学肥料も同じです。ポストハーベストといって、収穫後に農薬を使う場合もあり、 輸入の食物はオーガニックでない限り、 国産よりも農薬が多いという結果になります。北海道産の小麦の農薬が14回と言いましたが、もっと残留農薬が多い。
 放射線照射食品や遺伝子組み換え (GM)等の問題も、安全性が証明されない現状で、業者のためだけに使用されたり、栽培されてるという現実があります。
《 安全なものを確保するには? 》
 添加物、農薬、GMの物をどんどん少なくしていけば安全な物になっていく。 まず国産の農産物を使うこと、これに尽きます。食料自給率は、今39%といわれています。戦後の頃は、 60〜70%だったものがどんどん減っています。輸入の農産物でいいじゃないか、という考え方が蔓延しているところが恐い。 もし、輸入の農産物がこれ以上増え、自給率がどんどん下がって、どんどんどんどん田んぼが減り畑が減る。 すると、当然荒れ地が増える。「昔からの田園風景と山の自然」それがないと、 日本の農業は成り立たないんですよ。山で降った雨が流れ出て、きれいな水になってお米作りに使われて、 そのお米とか野菜を食べて健康になるわけですね。それが日本の自然ですよ。
 日本の自然とは、農業を考えずにはあり得ません。自然を守ることだけ考えてもダメで、国産の農業を大切にしないと、 僕らの食の安全は、 完全にダメになるばかりか、僕らの住んでる自然環境も本当にダメになってしまう。このまま放っておくと、地球規模で破壊されていきます。 ですから食の安全とともに、農業を大切にして行くという事を考えて食べ物を選んでいくという事が一番食の安全に繋がると思います

※おいしい漬物を作るには?の質問に答えて・・・

◇ 梅干しを漬けるには完熟の実を使う事と17〜18%の塩分がお勧め。
梅酢がしっかり回るようにする。
◇糠漬けは塩気が薄くなりすぎないように野菜は塩ずりしてから入れる。
※どちらも漬けたままにしないで、毎日様子を見てあげることが大切です。
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酪農の現状・・・私が酪農家になった理由
2008 10/10
  東生涯学習センター 

ミルクファーム蔵王
 ふれあい広場総料理長
 佐藤ひろ子さん
 
《 知り合った男性が実は・・・・ 》

 私は、娘時代、服飾の仕事がしたくて、高校でデザインの勉強をしていました。当時、一番やりたくない仕事が、 3Kのイメージ『きつい』『汚い』『暗い』の酪農家でした。 周りを見ましても、生物相手の商売なので、<どこにも出かけられない><おしゃれもして歩けない> <仕事がつらい>という話ばかりで、絶対、酪農家の嫁さんにはなりたくないと思っていました。

 そして、私はサラリーマンの男性と知り合いました。しかし、結婚相手となったその方は、 とんでもない夢――俺は将来、酪農をやりたい――を持っていたのです。

 主人は、小学3年生のころからNHKの酪農番組をずっと観ていて、夢を抱き酪農をやりたいという信念を持ち続けてきた人だったのです。 農業高校卒業後、北海道での実習先は酪農家の後継者だけが行くところでした。 彼らは皆仕送りがありましたが、主人は三男坊で後継者ではないので、 月6千円の研修費で4年間ずっと生活してきました。挙句の果てに、休みの日にも仕事を手伝い、 事故で親指を切ってしまい、酪農を断念してサラリーマンになったそうです。

 その頃、主人と知り合った私は、サラリーマンの妻として好きな服飾の仕事をしたいという夢を持っていました。農家の三男坊で、 土地もない、家もない、安サラリーマンでアパート暮らしの人が、なんで酪農をできるものか、口ばかりだと思い、「酪農したら私一所懸命やるからね」なんて言っていましたら、 本当に主人が脱サラして酪農を始めるはめになってしまいました。どうせなら、3Kのイメージじゃなく、視野を広げて世の中にお互いに出よう。忙しいからどこにも出かけられないと孤立せず、 何もできない、牛に使われる酪農じゃなく、私たちが牛を使う酪農経営をしようと話し合いました。

 資金ゼロからの出発で、国の公庫資金を借り、住んでいた仙台に近い蔵王の辺りを探したところ、家と牛舎と草地があり、後継者がいなくて酪農を断念した空き家があったのです。 お金がないので一年間、そこを借りて、 友だちから借りた牛5頭から始めました。5頭でも、25年ぐらい前で子どもはまだ2〜3才、自給自足で暮らして行けました。

《 悲しみを乗り越えて 》

 前後しますが、結婚する前、23才のとき、うちの主人は癌になりまして、4ヶ月後、手術後のヘロヘロの体で結婚式をあげました。 酪農を始めて2年後に待望の長男が生まれ、酪農をしながら一所懸命育てました。しかし、その酪農をしている時、3才の長男を亡くしてしまいました。 長男を奪った酪農はもうしたくないと思いましたが、ここで逃げたら浮かばれない、頑張ってやるしかないと思いなおし、酪農を続けました。そのあと、 子どもが2人できて現在に至ります。

 今までなぜ酪農をやってきたのかと言いますと、やはり、栄養源である牛乳に携わりたくて頑張ってきたのです。
《 牛乳をめぐる厳しい現状 》

 何もかも酪農に打ち込んでやってきましたが、皆さんもご存知のように、今、酪農情勢が非常に厳しく、日本の酪農は窮地に追い込まれています。 輸入穀物の高騰、原油高による輸送経費の上昇のため、飼料価格の高騰が著しく、2005年の1.5倍になっています。今後、まだまだ高騰する見込みです。価格上昇で、 牛乳も消費されにくくなるのではという状況に至っています。

 さらに、少子化により学校給食での消費が減っています。店頭でも、清涼飲料に押されて販売が落ち込んでいますね。牛乳より、お水やお茶の方が高いのです。いろんな原因がありますが、 まずテレビのCMですね。お茶やお水のCMは800億円かけて、今人気の芸能人を使っているそうです。世界のコカ・コーラで80億円。牛乳は「牛乳に相談だ」 とわけのわからないCMで8億円。 やはり一般消費者は人気の芸能人のCMに惹かれるようです。

 それに、コンビニが流行っていますが、ダントツに売れるのがおにぎりだそうです。おにぎりといえばお茶、お水で、牛乳ではありません。 そんなこんなで牛乳の消費が減少しています。
《 食は心を育てる 》

 現代社会は、ストレスの高じる要因がたくさんあり、人々は日々忙しい生活を送っています。 そんな中、若いおかあさんたちは食の大切さを忘れているのではないでしょうか。 レンジ食品、インスタント食品を与えられて育った子どもたちには味覚障害が多いそうです。

 『食』は心を育てる、子どもを育てるというくらい重要なことだと思います。一概には言えませんが、本当に素直な良い子は、 『食』からつくられると思っています。そういう『食』、栄養源である牛乳を頑張って飲んでいただいている皆さんに、本当に感謝いたします。
《 牛乳を食べよう! 》

 飲むだけでなく「食べる牛乳」ということで、私は全国いろいろ回って牛乳料理を紹介しています。 私は牛40頭を飼って酪農しながら、ミルクファーム蔵王のレストランの料理長をしています。その中でパンづくり、アイスクリームづくり、 バターづくりなど、牛乳を使った体験コーナーも担当しています。ハードスケジュールなので、その辺にあるもので凄く簡単にできる料理をします。

 牛乳はビタミンAが多く、皮膚の新陳代謝を促進し、健康に保ちます。私は、「牛乳は体の中の、飲む基礎化粧品だ」と思っています。 例えば、牛乳と抹茶を混ぜて飲むと体脂肪を減らし、引き締まった美体を作るので、肥満予防になります。御飯前に飲むと、 牛乳でお腹がいっぱいになり、御飯は少しで済みます。牛乳と鮭は、ビタミンDが多く、脳卒中予防になります。チーズと納豆は、 ビタミンKで骨の土台となる蛋白質を作り、骨を丈夫にします。カレーライス、カレースープにチーズで、大腸癌予防になります。

 いろいろ試してみて飲むだけでなく食べる牛乳を皆さんに取り入れていただければ嬉しいです。
〜〜〜〜〜お話の後、宮城の郷土料理を作りました〜〜〜〜
料理教室メニュー
  ・牛乳煮込みハンバーグ
  ・牛乳たっぷりミルクプリン
  ・うーめん(白石名産の麺)のおくずかけ
  ・大豆ごはん
               

▲紆余曲折の半生記をお話する佐藤さん

▲料理は臨機応変に。簡単メニューが好評

▲楽しく会食。ミルクプリンが美味しい!
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「みりんほど料理を豊かにする調味料はない」
2008 10/17
  豊田産業文化センター 

白扇酒造   
加藤孝明さん
 
《 今、日本のお酒は・・・・ 》
 お酒とは何か。「お酒を飲んで運転するな」と言う前にお酒とは何かを知って頂かなければいけないと思います。 実はみりんも、焼酎とか清酒とかワインとかいうようにお酒の名前です。調味料ではなくて元々飲む物だったのです。
 今、消費量で悲惨な下降線をたどっているのが日本酒です。ピーク時の半分以下になっています。これは日本人が日本を忘れてしまったのではないかという数字になっています。 消費量ではビールも落ちています。代わりに発泡酒が上がってきていますが、税金が安いからです。発泡酒は麦芽を使わないで酵素で造ります。酵素は日本人が発明して、 最初に胃薬等に使われたので良いイメージを持たれていますが、デンプンの性質を変化させる白い粉です。酵素を使えば麦芽は要らないし、日本酒では麹が要らない事になり、 まがい物のお酒が簡単にできる魔法の薬です。
 宝酒造さんの『純』とかは、実はアルコールで、バイオ燃料を薄めた物と同じです。世界でアルコールをお酒として売っている国は日本だけです。非常に文化性が低い。 お酒にもアルコール分はありますが、原料によって特徴があり、味も風味も違います。アルコールとなるとどこのメーカーが造っても、どんな安い原材料で造っても同じです。 酒税法上の安いお酒をたくさん飲ませて、税金さえ取れればいいという、財務局の魂胆だと思います。
 お酒とはどういうものかと言いますと、ワインを例に取ると、ブドウを絞り果汁の糖分を酵母が食べて、アルコールを作ります。酵母は空気中に浮遊しブドウに付いていて、 収穫して潰すともう発酵しています。デンプンのものはどう糖分を造るかというと、日本酒は麹を使います。麹はカビの一種で、米の蒸したものを50℃位で5〜6時間置くと甘くなり、 糖分に変えるんですね。ビールは麦芽で、麦からちょっと芽が出た時にアミラーゼというデンプンを糖分に変える酵素がたくさん出て、煮込んでいくと甘くなり麦芽糖になります。 この理屈で糖を発酵させ、アルコールを造ります。
アルコールを食べる菌もあります。字を見ると分かりますが酢酸菌で、酢を作ります。ワインからワインビネガー、 日本酒から醸造酢という風にお酒がないと酢が出来ません。日本の醸造酢は、日本酒を造り、酢になった一部を残して、次に造る酢に回して行き、それぞれのお酢屋さんによって菌も味も違います。 白扇酒造の近くに内堀さんというお酢屋があって、そこの次に白扇を見学したいと言われるとお断りします。お酢屋から来られると醸造酒が酢になってしまうかも知れませんから…。
イタリアのバルサミコという非常に高いお酢があります。なめてみると甘く、上手に使うと料理がとてもおいしくなります。造り方は、昔から使っている樽に酵母と酢酸菌がいるので、 ブドウジュースを直に詰めて濃くしていきます。酵母が長い間かけてアルコールを造り酢酸菌が酢を造っていきます。10年まではそう高くないのですが、 15年を超えた瞬間に100 mlが1万円という値段になります。
《 醸造酒の誕生と焼酎の歴史 》
 発酵させて造ったお酒を醸造酒といいます。15世紀前後の時代にルネッサンス、文芸復興といいまして、 芸術や躍動感のある建築がいっぱい出てきますが、お酒の世界でも蒸留酒という技術革命を起こしているんですね。蒸留とはメソポタミアの時代からありましたが、 昔はアルコール度の高いお酒はみんな薬だったんですね。 それを飲み物にしたのがルネッサンスです。当時、錬金術といっていろんな金属から金を作りたいという事で、科学を一生懸命やったんですが、 その時に出来上がったのが蒸留という方法です。
 例えばワインを入れて、下から火で熱し、熱燗状態なってきて、ある温度を超えると沸騰してきます。水の沸騰温度は100℃ですが、アルコールの沸騰温度はなんと78.3℃です。 78.3℃を超えると沸騰し、蒸気になりますから、もう1回冷やすとアルコールが凝縮して垂れてくるんです。こういうのを蒸留酒というんですね。
 ワインを蒸留するとブランデー、ビールだとウイスキーですね。日本酒なら米焼酎。スピリッツというのは、 ジンとかラムとかウオッカとかテキーラで、アルコール度がぐっと高いですね。
 これがお酒として飲まれるようになってきて、イタリアを中心に伝播していく。この技術が日本に到着したのが戦国時代で、それまで日本には焼酎がなかったのですね。
ポルトガル船が持ってくるんですけれども、イタリアからのウイスキーとかブランデーとかで、日本には実はタイから入ってきたのです。
 このアルコール度の高いお酒を利用してもう1種類お酒を造るのです。混成酒、いわゆるリキュールですね。米焼酎を使いまして、そこへウメと氷砂糖を入れておきますと梅酒ができるのです。 これは糖分とアルコールが物体のエキスを吸い取る役割をするんですね。アルコールの高いのと糖分が加わりますといろんな薬草からエキスを吸い取るのです。それを総称してリキュールといいます。
《 守りたい、貴重な日本の醸造の文化 》


 (図 1)
 焼酎が日本に伝わってきて、みりんができるのですが(図1)、みりんの原料はアルコール度の濃い40度位の焼酎ともち米の蒸したのと 米麹。もち米を使って甘酒を造るのです。みりんのアルコール度というのは発酵ではなくて焼酎由来で、これが大きな特徴なんです。
 日本酒の甘辛とか、ワインの甘辛というのがどうなっているのかといいますと、糖分がアルコーに変わりますから、 全部の糖分をアルコールに変えてしまいますと辛口になります。一部の糖分を残して発酵を止めますと甘口になります。薄くすると腐っちゃうからなんです。
《 外国が持ち出して特許! 危うかった日本の麹菌 》
 麹菌は日本で発見された、日本にしかいない菌です。ところが、麹菌をヨーロッパの食品メーカーのネッスルが持ち出しました。 日本中が震撼した事件でしたが、 向うで先にゲノム解析をやられちゃうと特許を取られて、日本酒を造るのに日本の醸造産業が特許料を払わなくてはいけなくなります。 日本は迂闊な国なんですよね。
 また日本という国は当たり前にあるような味噌、しょう油、お酒を研究する学校がないんです。今は東京農大ぐらいじゃないですかね。海外から大きな問題が起こった時に受け手が無くて、 初めてサントリーさんのような大きな会社と大学が一緒になって防戦して、日本で最初にゲノム解析をやりました。日本でゲノム解析をやったのは米と麹菌だけです。
日本には、独自のものがいっぱいあるんだという事をもっと発見して頂きたいと思いますし、日本ほど水に恵まれている国は稀で、水がそのまま飲めるという国はほとんどないです。 これは日本人の大きな財産です。
《 みりんのルーツはもち米にあり 》
 これ(図2)は興味深い資料で大饗の膳といいまして、 1100年代に藤原頼長が右大臣になった時のお祝いの膳で非常に有名な絵です。 日本にはこういう絵は少ないんです。 日本は昔から秘伝とか一子相伝とか言って、 巻物にしてしまって置いてレシピを公開しない。外国はレシピをどんどん出してきますね。
 膳の手前の左の大きな盛がご飯です。真ん中に匙と箸が置いてあります。平安の後期までは匙が置いてあった。 何時から匙が日本の食卓から消えたかは謎になっている。箸を使ったらご飯に挿しておくんです。今こんな事やったら怒られますよね。


(図 2)
 ご飯に挿して箸休めにするという食べ方です。小さい皿が並んでいますが、 調味料です。この頃の調味料・・・酢とか塩、醤(味噌としょう油の中間)ですね。調味料としてはものすごく少ないですね。上は魚とか鶏とか蛸とか烏賊とか、 乾き物が多いですね。そういうものを自分で調味料を付けて食べたんです。このご飯に注目なんです。この頃はご飯を炊く技術が無くて蒸していたんです。 蒸したものでここまで積み上がるのはもち米であるという事です。

 もち米とうるち米の関係は非常に不思議な関係で、簡単に言いますとデンプンの質が違う。 デンプンの成分はアミロースとアミロペクチンで、 大きな違いは餅がつけるかつけないかです。もち米で造ったみりんがドロドロというのは、 基本的にアミロペクチンが糖分に変わったからなんです。 アミロースの多いうるち米でやるとサラサラなんですよ。もち米を使ったところが大きな特徴なんですね。
《 みりんの誕生 》
 焼酎は戦国時代に南蛮貿易で伝わってきました。沖縄の泡盛が一番でタイから伝わりました。 泡盛って日本の米を一粒も使いません。泡盛の味はタイの米じゃないと出来ないと言っていますけど、タイから伝わった事を如実に表していますね。 その技術が日本全国に伝わっていきます。ですから江戸時代は焼酎の方がうんと高いわけです。それを使ってみりんを造ったのですね。
 戦国時代の甘いお酒の中に練り酒というのがあります。どうやって造るかというと、出来た日本酒の中にもう一回蒸したお米と麹を入れて、臼で挽くんです、 粒が入りますから。臼で挽くと細かい粒々の濁り酒ができる。豊臣秀吉なんか非常に好んで飲んだということが文献にたくさん出てくる甘いお酒です。 ところがアルコール度が落ちますので腐ってしまうんです。そう、濁り酒の甘いやつなんですね。いちばん有名なのが、信長が本能寺で討たれた時、 秀吉が備中いわゆる岡山で、毛利とすぐ和睦して姫路城まで戻ってから京都に行く前に、この練り酒を皆で飲んで出発したって書いてあります。 こうやって戦国時代によく景気付けで、出かける時に飲んだ。これが何でみりんにとって大事かといいますと、みりんの造り方と良く似ているんです。
 アルコール度が高くなった焼酎、ここにもち米の蒸し米と麹が入る。これが本当のみりんの造り方なんです。 ですからどうも日本人の古来日本酒でやってきたものを、 ある時代は焼酎でやってみた人がいる。そしたら物凄く甘いお酒が出来ちゃった。 しかも焼酎はアルコール度が高いですから下がっても日本酒ほど下がらないので、非常に安全性もある。これがみりんの造り方の元になりました。
《 白扇みりんのおいしさの秘密とは? 》
 熟成するとどうみりんが変わるかというと糖分に絡んだアミノ酸系統が、ざーっと増えていくんですね。 ですからみりんって貯蔵しておきますと味が大きく変わるというのは、アミノ酸類が非常に増えていくということ、要するに美味しい味が増えていくという現象ですね。 ほとんどのみりんは1年ですが、白扇みりんを3年寝かせております。そういう意味で非常に味が多く、いろんな糖分が増えていくんですね。みりんっていうのは単なる甘さだけじゃなくて、 アミノ酸も多いし、主にはグルコースなんです。ですからみりんを料理に使った時に、何が違うかって言うと、糖分が高く、糖の種類が多いということと、アミノ酸類が多いので、 味が広がるということなんですね。
《 「本みりん」と「みりん風調味料」の決定的な違い 》
 戦後できた『みりん風調味料』というのは、グルコースは水飴で、アルコール分はアルコールを持ってくればいいということで、 成分的には同じなんですけど、いろんな成分の違いが大きい。ですから単純な味になっちゃうんですね。お料理すると大きな差になって出てくるかなと思います。
 実はみりんのインチキが出ましたのはもう昭和23〜24年です。これは新みりんっていう名前で出て、それが公正取引委員会から排除になりまして、 『みりん風調味料』っていう名前に変わるんです。 だから本来のみりんを『本みりん』って言わなくならなきゃいけなくなったのですが、元々はみりんだったんです。
 『本みりん』の中にも今の我々が造っている、いわゆるもち米と麹だけで造った物と混ぜ物のある物と2種類あります。『みりん風調味料』はアルコール1%以下で、 ブドウ糖と調味料で合成したものです。単なる水飴だと思ってください。『発酵調味料』はお酒(合成酒など)に塩を入れて、さらに糖とかアルコールを加えたもので、 どちらも酒税を免れる為の商品なんですけども、そういうのがスーパーマーケットで増えてきてるんじゃないですかね。
 『本みりん』は日本の味を作ってきた大きな素材の一つです。鰻のタレも丼物もそばつゆも、本みりんが無いと出来ないわけですから、 もっと大事に思ってもらいたいなと密かに思っております。
 2、3月頃に岐阜白川は近いですからぜひ見学に来て下さい。ありがとうございました。
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西尾ワールドよもやま話
2008 11/14
  北生涯学習センター

有機ハートネット
 西尾勝治さん
《 しいたけ栽培 》
 しいたけ栽培には菌床栽培と原木栽培とがあります。
 菌床栽培はスーパーの7〜8割がこれですが、オガクズを固めて栄養剤とか薬を加え数日の間に発生してくる形のものです。 私はまがいものだと勝手に思っているのですが・・・しいたけは本来、木の成分のセルロースとかリグニンとかを食べて成長します。 菌床栽培だと外からふすまと か栄養剤を加える事によって本来の物と成分も味も変わっていると思います。 前から一度分析してほしいと言っているのですが、発表してくれません。特に農協関係がね。 (苦笑い)
 原木栽培にも施設栽培と自然栽培があります。施設栽培は一年中発生させる為にハウスの中で水につけて発生させています。 夏に出回っているのはこれです。
 自然栽培は桧の林の中にこなら・みずならを切ってしばらく放っておいて、春になったら玉切りと言って1m位に切り植菌(こまを打ち込む)します。 しばらく仮り伏せし、梅雨が明けた頃にその原木を井桁に寝かして置くとその年は出ないんですけど、 二年目の春からぼつぼつ発生してくる訳です。春、丁度桜の咲く頃にピークなんですけど、その時に一回と、 秋ちょっと寒くなった今頃から12月にかけてだらだらと発生します。肉厚で大型で、昔のしいたけはほとんどこの形でした。 春物はいっぺんに出ますので乾燥しいたけという形になります。10年位はずっとこの状態で放っておけば収穫できます。 直射日光の当たらない状態であまり風が通ったり、乾燥状態にならない場所を探して置きます。
 黒川は標高500m〜800m位の山里で昼と夜の温度差が大きい。 これは美味しいしいたけが出来るのに適している。しいたけ栽培が明治の頃から盛んで一時は60軒位私の集落でもあったのですが、 20年くらい前に安い中国産が入ってきて、とても立ち打ちできなくて辞めてしまい、本物のしいたけを作っているのは5軒位です。
 実は中国産については当時からあやしいと言われていたんです。というのも中国産を買ってきて並べておいても絶対に腐らない。 ホルマリン漬けの様な状態で何か問題があるのではと。今になってようやくわかって来ました。けれどもう遅い。 生産者が辞めてしまってから急に国内の物といわれても回復しようが無いんです。私としては本物を作っているという 自覚がありますのでもう少し仲間を増やして作っていきたいなと思っています。
《 大豆トラスト 》        
 丁度10年位前から遺伝子組み換えの大豆がアメリカからどんどん入ってくるようになり自給率は5%という 状態でした。 未来ネットや名古屋の消費者グループから安心して食べられる大豆を作ってほしいとの要請があり、 近くの農家と誘い合って大豆トラストという形で上流の生産者と下流の消費者が畑を共有し、食の安全や農業を考えて行こうという取り組みを始めました。
 今日本では430万トンの大豆を使用しているのですが、70%は油を採るため、味噌・しょうゆ・豆腐の分は100万トン使われます。 この部分が何とか遺伝子組み換えでない国内産で本当は欲しい所なんです。しかし、国内産は22万トンしかない。 何とか自給を増やしたいと思っているのですが、外国から入ってくる大豆は非常に安い。特にアメリカは政府の補助政策があり、日本の普通の農家が作っても採算が合わない。
 日本の政策は輸入型の産業なので車を輸出して関税を低くして安い食糧をいれなきゃならないと言う 事情がありますけれど、それでも、一番大切な食を依存しっぱなしでいいのかなという気がします。私は、
@農薬や化学肥料は いっさい使わない。
A地場の在来品種を出来るだけ大事に守って行こう。
B遺伝子組み換え大豆は絶対使わない。
を基本にして、丹波黒豆、小豆、信濃緑、福鉄砲などを作っています。
 この福鉄砲の名前ですが私達の仲間のお母さん 「ふくよさん」が非常に良い大豆の種を持ってみえて、じゃあ統一して皆で作ろうということになり、味もいいし、 枝豆にしてもいいな。じゃあ、名前をつけなきゃいけない。まあ、ふくよさんが持ってる中鉄砲だから「福鉄砲」にしようと決まったのです。
《 はさ掛けトラスト 》
 有機栽培の田んぼをこれもトラストで3年位前から「はさ掛け」という形で始めました。 はさ掛けにしてゆっくり二週間くらいかけて、水分の含有率を20数%〜15%に落とします。そうすると自然に乾いていくわけですから食味が失われない。 それと、田んぼの場合、草との格闘ですが会員さんたちが応援に来てくれます。
 慣行農法から変わったところは、いろんな生物がどんどん増えて来ています。 日本全国の田んぼから絶滅しかかった浮き草が、 うちの田んぼにはたくさん生えています。隣の慣行農法の田んぼには、ほとんど虫というか生物がいないのに、 うちの田んぼは6月頃には赤トンボが上空を舞っています。米がたくさん採れるか採れないかには関係ないんですが、 ほかの田んぼは死の世界なのに、自分のところには色々な生き物がいる。やっていてとても楽しいです。
《 森 》
 昔からこのあたりは山と畑と田んぼを上手く利用しながら生活を成り立たせていたところです。 森林は水源とダム機能、CO2(二酸化炭素)の削減に役立ちます。レクリエーションの場としての役割も持っていると言われています。 しかし、今、見た目には緑できれいに見える山が植えっぱなしで、ほとんど手入れをしていない。 間伐しないと、ちょっと雨が降ると地肌がむき出しになって泥になり流れてしまう。 外国からどんどん安い木材が入ってくるもんですから、なかなかやる人がいない。30年〜40年前は4トントラック一杯で100万円で売れたんですね。
 昨年ですが、私の山からも柱になるくらいの木を切り出したのですが、12万円でした。伐採費用とトラック運賃とで10万円かかりますから、 2万円しか・・・。でも手を入けなれば山が崩壊してしまう。 白川もどんどん過疎化がすすんでいます。誰かが住んで水源地を守らないと、下流域の生活も守れないという事でがんばっています。 隣の部落の森林組合の話ですが伊勢湾の漁民が来て一生懸命、広葉樹を植えていきました。川の水の中にミネラルとか豊富な栄養が 少ないと海の生物は育たない。三年位やっています。
《 これからの農業の展望 》
 有機農産物はおいしいということがわかっている人が増えてきたことは有難いことです。 二年前に有機農業推進法が国会で全会一致で成立して、積極的に有機農家を増やして有機農産物を増やして行こうという方向性を作って くれているので将来的には良くなるんじゃないかと思っていますが、食糧というものは気候によって不安定な生産状態なので、 きちんと自分のところで自分の国で作っていかないと困ったことになると思います。私の場合は、農産物を作るためにかかった経費を、 きちんと保証していくということを理解してくれ支援してくれる人達がいることが有難いと思っています。 他の慣行農法の人達にも有機農業に変われる支援というか、応援を消費者の側から頂くと有難いと思います。
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蜂と暮らす旅人生…妻、嫁そして母として
2008 12/14
東海市しあわせ村

舘養蜂場
  舘 正浩さん
  舘 時子さん
《 サラリーマンの妻のはずが・・・ 時子さんの話 》
 私たちはみつばちを育てて花粉交配のためのみつばちを作りあげたり、 はちみつを採るために花から花へとみつばちの巣箱を運んで移動養蜂をしています。
 冬は伊勢志摩へ蜂を運んだり、夏はアカシヤのはちみつを集めるために北海道へとみつばちと一緒に出稼ぎに出ます。 場所は芦別市、赤平市という富良野の隣で、主人と二ヶ月程行っています。

 三代目の父はいつも口癖のように「はちみつは身体の弱い人が元気になる為に買いにきてくれるものだから、 毎日食べられるように高いものになったらいけない」と言っています。昨今はちみつの値段が上がって、 私も商売っ気を出して少し儲けたいなと思う時があるんですが、いつも父に「そんなことをしたらあかん」と釘をさされています。
 家は規模が小さすぎて輸入や加工の設備もなく、 採れたままをゴミを取り除いてビンに詰めるという作業だけですので、 皆さんには安心して食べて頂けるものを届けていけるかなと思っています。

 実は主人は結婚前は会社員でした。子ども時代に両親が仕事々々で、とてもつらかった思い出があり、 自分の子にはさせたくない、ということで 絶対に蜂屋にはならないと言ったので結婚したのですが、主人の父が脳梗塞で倒れ「家業を継いでくれ」 と頼まれ、いつの間にか、なっていました。 私には「店番だけで蜂の仕事はしなくていい」という母の優しい!?ささやきに「それならいいよ!」 と答えてしまった大きな誤算から蜂屋さん人生が 始まってしまったのです。

 店番と思っていた私の最初の仕事は蜂の巣箱作りで、木のパーツを釘とかなづちで組み立てるのですが、 釘一本まともに打ったことがなく、やり直しばかりで3000箱、明けても暮れても組んでいました。次は父から譲りうけた巣箱、 父が倒れてから放りっぱなしだったので、蜂の巣に蛾の幼虫がわいて、蓋を開けるとうじ虫みたいなのがゾロゾロ出てきて、1000箱くらいかな、 気持ち悪くて凄くいやだったのですが、それは嫁として当たり前という空気でしかたないなと、半べそで毎日やってました。 それから主人に「燻煙器だけでいいから山の手伝いを」と頼まれ蜂の山について行きました。それがわたしの蜂屋さんデビューです。
《 私の天職! 》
 毎日蜂の針にさされるんですが、あまり腫れもせず、自分は蜂屋さん向きの体質だったんだなと感じました。 春、巣箱の中の蜂でいっぱいになった巣枠を一枚ずつ違う箱に入れて、人工的に作った女王のさなぎをその巣箱につけていって、 空中交尾をして自分の巣箱に帰ってきた女王蜂が産卵をして、初めて蜂の数が増えるんです。その中から育ち方によってリース用 の蜂とはちみつを採る蜂に分別します。

 天候で発育も左右されますし、はちみつの採れ高も雲泥の差があってすごく自然には敏感になります。みつばち自体も小さな身体で環境に デリケートな生き物なので機械化が出来なくて本当に気を使います。山でみつばちを放し飼いにしてるので、ゴルフ場の消毒とか松くい虫の 消毒は蜂が死んでしまうのでその度に巣箱を移動させます。それはみつばちが巣箱に帰ってくる暗くなってからの仕事で、 暗闇の山は凄く怖いもので夫婦揃って小走りで運んでいます。

 それから、北海道に持っていく蜂は数が多いので2段3段と重ねた巣箱で、 蜜が入ってない空の巣箱でも30kg40kgになります。それを背中に背負って運びます。はちみつを採る時はみつばちがその日に集めた蜜が巣房に混じると 濃度が薄くなるので、みつばちが蜜を集めてくる朝早くに仕事をしなければいけないので、4時5時に始めます。
はちみつがたまったら遠心分離機で はちみつを採りますが、巣枠が9枚、とっても重いんです。でも、9枚回して多いときで12kgくらいのはちみつが採れます。一斗缶で24kg、一日に30缶、 40缶と詰めてはトラックに運んで倉庫に降ろします。
 北海道での生活は農家の倉庫を間借りして自炊生活なんですが、お風呂もトイレもありません。 お風呂は30分くらいかけて 近くの温泉にトイレは道の駅を拝借したり・・・たまに青空の下でするんですが、だだっ広く遮るのが何もないので、 ずっと先の家から何をしてるのか解ってしまって、とても辛いです。こんな辛くて重労働の仕事ばっかりしなければいけないのか、 ずっと不満ばっかりだったんですが、その時は「酪農家の方や豚屋さん、鶏屋さんより楽やん」って自分に言い聞かせています。 蜂は餌はやらなくても自分で採ってきてくれるし、毎日そんなに世話がかからないんです。
 こんな事を言ってますが、ここに到るまで、育ったサラリーマン家庭の感覚が抜けず、土日もゴールデンウイークも関係なく 予定が組めない蜂屋さんの仕事にいろいろ葛藤がありました。 本当に毎日不満ばかりでイライラしながらで仕事にも全然身が入らずミスばっかりで主人に怒られてばかりでした。

  ある時、主人が私のその姿を見かねて「つまらないのは自分の蜂やと思ってないからや。この蜂が自分の蜂と思ったらどうやって 飼育するか考えて見ながら仕事してみー、楽しくなるよ」って言ってくれたんです。主人の声が神の声のように聞こえて 「あー、そうや、この仕事は誰にも出来る仕事じゃない。もしかしたら私にとっては天職かも知れない」って思えたらもう、 仕事が大好きになって無我夢中になって、解からないことは主人に質問攻め。夫婦で同じ目標に向かっていけるっていう嬉しさと、 子どもも元気に育ってくれて本当に充実してたんです。北海道に行ってるときは主人の両親が親代わりをして助けてくれました。 子どもも子どもなりに迷惑かけたらいけないと解っていたようです。
《 突然長男が不良に!! 》
 すごく幸せな日が続いていたのですが、長男が中三の夏、北海道から帰ってきたら、 なぜか不良になっていたんです。遅刻はするし、中三の大事な時に勉強はしないし、成績はあっという間に急降下でこっちもパニックでした。 生まれた時から食事もきちんと取って夜更かしもせず、それが自慢だったのに、不良になった途端、朝ごはんを食べなくなって、 何とか元に戻そうと口うるさく説教するとますます反発して悪くなるばっかりで、家族四人の楽しい食卓が説教ばかりの重〜い食卓! そのひずみが次男にも影響してチック症になってしまったんです。

 長男は当然のごとく志望校へは行けず、行きたくない高校に行きましたので、また遅刻やずる休みの日々でした。 なんとか学校に行かせたくて、うるさく言うので子どもも家は出るんですが、ある時仕事に行く途中Uターンして帰ってくる 子どもの姿を見た時は脱力感というか、本当に仕事も手に付かず、でも諦めたらいかん、と毎日子どもと押し問答でした。 落ち込んでる時に主人の母が「悪い所に行こうと思えばいくらでも行けるのに、あの子はちゃーんと帰って来る。 越えたらいかんラインをあの子なりに判っているんだから安心して見守ってあげなさい」って言ってくれたんです。
《 親子ともども苦労を乗り越えて・・・今! 》
 そして高二の夏、北海道から帰ってきたら息子が柔らかい表情になっていて、 あれ〜と思ったら「お母さん、僕、大学に行くわー」と言って猛勉強しだしたんです。目標も出来、 子どもなりの生活のリズムも落ち着き始めたら、朝ごはんを取るようになったんです。昔の人が食の乱れは生活の乱れって言ってたようですが、 本当なんだな〜って実感しました。不思議なことにそうやって穏やかな生活が戻ってきたら次男のチック症も直って安心しました。 それで、長男は猛勉強の末、お陰様で父親と同じ大学に合格し、今二年生です。高校を卒業するときは、子どもの口から 「お父さんやお母さんが諦めずに僕の事を叱ってくれたおかげや」って言ってくれたので、育て方を間違っていなかったんだな〜と実感しました。

 今年の春、35歳の脱サラした2児のパパが「蜂屋になりたいから弟子にしてくれ」と家に来ました。 家にそんな余裕はないんですが人のいい主人が熱意に負けて受け入れてしまいました。 35歳、それだけ歳が違うと、もう宇宙人です。でも一生懸命蜂屋さんに育ててあげなければ、と主人と二人で悪戦苦闘しています。 慣れてる仕事なので手を抜いてた所もあったのですが彼の手前、お手本になるように初心に返って仕事をしています。 勉強をし直すって点やら、違う目線から仕事を見直すことができて、いい機会だったなあと今は思っています。 若い方がたくさんの仕事の中から蜂屋を選んでくれた、ということが嬉しくて、これからの人に「僕も蜂屋になりたい」 っていわれるようにみつばちの飼育技術を確立したり、先人として頑張らなくてはいけない事がたくさんあると思っています。
《 今年の生産状況・・・    正浩さんの話 》
 レンゲ、ミカンは温暖化や天候不順の影響で三分の一、アカシアは遅霜が降り、例年の半分、クローバー、 百花蜜は例年並みです。はちみつを採る蜂の数は200箱で、後の600箱は花粉交配のリース蜂なんですが、 こちらは安定した収入が得られます。2年前にオーストラリアからの輸入の女王蜂からノゼマ病が出て日本の検疫でストップしまして、 今年も入っていません。ビニールハウスの場合は虫が媒介して作物が出来る方式なので、蜂が足らない状況が2〜3年続いています。 大きな要因のひとつは中国の影響で国産はちみつが注目されているということです。今まで取り扱わなかった業者が手を出す事によって値段が上がっています。

 北海道や東北で今まで稲作で有機リン系殺虫剤を使ってたんですけど、ネオニコチノイド系の殺虫剤がみつばちに対してかなりの被害を及ぼしています。 7月末〜8月にかけて撒かれるんですが、この粉剤が撒かれると巣の入り口の前がみつばちの死がいの山になります。 この殺虫剤はフランスでは3年前に禁止になりました。日本は2年前から認可されました。養蜂業界でやめてくれ、 と言っても私たちは移動養蜂で人の土地に厄介になりますので、農家さんのほうが強いんです。
《 「はちみつは脳の働きを活発にする!!」 新聞記事より時子さんの話 》
 「甘いものをとることは人間の生活にとっても大事だ」と新聞に書いてありました。

 甘いものを食べると血管からブドウ糖を体内に取り入れて、身体を動かすエネルギーになります。 余ったブドウ糖は肝臓と筋肉に入ってグリコーゲンという形で蓄えられます。グリコーゲンが不足すると身体が疲れたり、激しい運動のあとで頭が痛くなったり、 ドキドキしたり低血糖の状態になります。だから、スポーツの前、途中、後に糖分と水分を補給をすることが大事だと書いてありました。
もう一つ、脳のえさになるのは、ブドウ糖だけでは、これが不足すると頭がぼ〜っとするようです。脳を興奮させたり、やる気を起こさせるドーパミン、 脳をリラックスさせるセロトニンというホルモンで、それがバランスよく保たれるとよいそうです。 セロトニンを作るためには乳製品に含まれるトリプトファンという成分が必要です。だから、乳製品と一緒にブドウ糖が含まれる甘いものを摂ると トリプトファンが中枢神経に運ばれて初めてセロトニンという物質が出て、それが記憶力や集中力を高めます。
牛乳とはちみつを混ぜて上手に タンパク質と糖分を摂って健康に役立てて下さい(上図は上記の話を時子さんがわかりやすく図式化したものです。)
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