フェスタ報告2011


未来ネットでは、毎年会員の皆さんと、安心な食べ物や暮らしの情報、環境問題などについて、 生産者を招きミニ講演会を開催しています。
2011年は、「おいしく楽しく学んでフェスタ2011」と題し、
取扱い品の応用例他を試食しながら、3会場で実施しました。



おいしく楽しく学んでフェスタ2011報告
     ★10/14 桜井食品株式会社 桜井芳明さん
★10/28 白扇酒造株式会社  社長 加藤孝明さん
★12/1 ライスロッヂ大潟村黒瀬農舎 黒瀬友基さん 


                

よりよい食品で健康をお届け 
  2011 10/14
名古屋市東生涯学習センター

桜井食品株式会社 代表
  桜井芳明さん
 こんにちは、今日は短い時間ではございますが、皆様の前でお話をさせていただく機会を頂きありがとうございます。
 こうやって外で話をさせてもらうということで、一番嬉しいのは、皆さんに報告することで、私共のやっている仕事のまとめができるということです。
 20〜22年前に北海道音更の女満別の私共の小麦粉生産地を訪問していただいたことがあって、会の方を畑にご案内した事がございます。夜は宿泊場所で農家さんと消費者とのお話の場で、皆さんが次々と農家さんと話をされるので、農家さんが夕食を食べる暇がなかったという事、今では懐かしい思い出です。今でもその農家さんとは交流を深めさせて頂いています。
《 会社の歴史 》
 会社は、明治43年創業、101年という歴史はあります。
 祖父の兄が岐阜県関市でうどんを作り始めたのは、まだ電気が無く、モ―タ―代わりの足で踏む機械でうどんの粉を練って切るという時代でした。当時は村に100世帯の農家さんがいまして、米を刈り取った後に麦をつくる二期作で、小麦を集めてうどんを作り始めました。その後、自転車屋に転職した兄から弟である祖父が受け継ぎました。
 昭和40年当時作っていたのは、漂白剤を使った真っ白な麺類で、まつたけ味スープといっても全くまつたけの入っていない物でした。今では詐欺になる様な物が当時は普通でした。添加物は体に良くないということを教えていただいてからは、方針を大転換して、無添加で今日まで作っています。
 当時日本には、有機の認証団体はなかったので、アメリカの認定団体OGBSに有機認定をしてもらいました。そういうことでお客さんから信頼をいただきました。その後に日本の有機認定もできました。海外から輸入して、小麦粉25kgの大袋を小分けする資格をいただいて今に至っています。
 平成17年には、岩手と宮城県の県境、藤沢町の畑を買いました。農家さんとの契約で、それまで有機栽培で小麦を作っていただいていた25 ha(ヘクタール)の内の7haの小麦畑を農家さんが辞められるということで、譲り受けてそのまま維持するということで自社農場にしました。
 当時は企業が農地を買うことができないという壁があったので、桜井商事という会社をつくりました。
《 会社の仕事内容と方針 》
 現在の仕事の内容は、スパゲティ、小麦粉、未来ネットでお世話になっているホットケーキ、うどん、片栗粉(馬鈴薯でんぷん)やパン粉の小分け。片栗粉は馬鈴薯シーズン最後の12月初めに、他のものと混ざることが無いようにして作っています。あとカレーやシチュー。海外でオーガニックと認められたオリーブ油など、他と混ざらないよう、農家を指定して輸入しています。
 会社としてのこだわりは、基本的には国内の農家と契約栽培するという、減農薬、化学肥料を減らしたものが中心です。国内でとれない胡椒、オリーブ油ココア等は輸入しています。
 よりよい食品を作って、健康をお届けし、関わるすべての人が幸せになれますようにということを基本的な姿勢としています。
《 生産地と農家とのつながり 》
まず北海道の帯広音更の大牧農場では,馬鈴薯・秋小麦を作ってもらっています。帯広から札幌方面に15kmぐらい行った芽室で、8軒の農家さんに100haの秋小麦をお願いしています。
 昔「北の国から」のドラマで有名になった富良野では、太田さんが馬鈴薯、網走知床半島付け根の斜里では、ここだけですが、春小麦を作ってもらっています。
《 春小麦と秋小麦 》
春小麦と秋小麦の違いを説明しますと、秋小麦というのは秋に蒔くもので、寒い時期に麦踏みをします。春小麦は雪解けを待って春に蒔くものです。秋小麦の方が生育が早く、北海道の場合、早いと7月の後半から8月10日までに刈り取りができます。春小麦は蒔いた時期が遅いというハンデがあり収穫が8月末になります。
 春小麦と秋小麦では、小麦の性格が違います。たとえば天ぷら粉はタンパク質の少ない薄力粉が使われますが、一方パンはたんぱく質が多い強力粉。中間が中力。日本では中力が主です。でも春小麦は強力粉ができるので、お願いして作ってもらっているんですが、あまり作られていないのは、刈り取り時期で雨が問題になるからです。
 何が問題かというと、稲は雨が降っても穂は下を向いているので、下へ落ちる。小麦は上を向いているので、雨が降ると粒のところに水分が残って、胚芽が水分を含んで、温度があると芽が出てしまい餌用にしかなりません。そのために、雨が降らない6月の下旬に刈り取りをしますが、雨が降ると正規の価格から4分の1、5分の1になってしまうので、空を見ながら刈り取ります。農家としては雨の降る前に早く収穫できる小麦を作りたいわけです。
 そこで、弦間さんは雨に耐えられる小麦の収穫方法を思いつきました。立っているから水がつくのであれば倒せばいい。これで農林大臣賞をもらったんです。収穫の10日ほど前、茎から水分があがって、登熟するお盆の前頃に全部切って畑に倒して置いておけば、雨が降っても関係ありません。特許こそ取れませんでしたが、春小麦が収穫できるようになりました。ただし拾い上げるのにひと手間余分にかかり機械も要ります。
 弦間さんには、春小麦と馬鈴薯を作っていただいています。一人で150 haぐらい。大きな機械を使っていて、林の向こうはオホーツク海という自然の残された所です。
《 栽培方法の看板でアピール 》
網走、5kmほど行ったところ、サロマ湖の近くで秋小麦を作っている内海さん。息子さんと馬鈴薯畑をやっていただいています。
河西郡芽室町中美生では、8件の農家でだいたい100 haの小麦畑。ホクシンというスパゲティになる小麦を栽培しています。芽室の畑には、元農林省のパイロットファームで、平成12年9月からずっと減農薬減化学肥料栽培でずっとやっていますよという看板を立てています。

富良野の方では太田さんが小麦、馬鈴薯。もう一方音更、ミルクプラントのある街の大牧農場の収穫ですが、広大なところで、農薬化学肥料を抑えながらの栽培にもこだわっています。規格外れの小さなものをでんぷん用にしますが、小さいといっても選別して一年に100~150tもできます。
 東北の桜井農場は、宮城との県境の岩手県一関市藤沢町は縄文土器の出てきた古い町、東北の山脈に囲まれた盆地。南部小麦という薄力粉になる珍しい小麦を栽培してもらっています。
 岩手の自社農場の畑には、社員の半分ぐらい現地へ行ってきました。隣の畑で農薬を散布されても、飛んでくる確率が低いということで、あえて一番山の上を使っています。
 津軽市の野呂さんの薄力粉の小麦。青森県で認められた農薬も化学肥料も使わないという看板です。こういう看板を必ず掲げてもらって皆さんに納得してもらうこと。そして、他の農家さんにも広がっていくのを期待しています。野呂さんはちょっとお年が来て後継者の問題で頭が痛いという方ですが、私より2つ上。向こうが日本海というところで薄力小麦。ここは、当時農林省が、水が出るようにスプリンクラーで圃場改善しましたが、農家が費用を支払えなくて放ってあった所を借りて、小麦を作っています。ずっと農薬を使っていない所です。
 東海地方では、国府町(こくふ)(現在高山市)の田中さん。押し麦を作る農家さんは、長野の北の方で、あわひえきびの雑穀。岐阜県関市ではお米。海津町では秋小麦、今のホットケーキに使うものを栽培。高山の国府の大麦畑は広大ですが、大きな機械なので収穫能力がずいぶんあります。
 三重県では、養老山脈の元田んぼの転作地を利用しています。岐阜県関市では、転作の田んぼで加工用の米を届け出して、作っています。ここで採れるお米は、しっかり目方をはかって、全てトレース追跡が完全にできるようにしてやっています。
《 小麦の現状 》
小麦粉の現状ですが、大半が輸入で86%を占めます。主にアメリカ・カナダ・オーストラリアからです。パンへの利用が圧倒的に多い。うどん・そばはオーストラリア小麦が大部分です。日本の白いうどん用に作ったものは、オーストラリアで開発されたものが大半です。
 3年ほど前の調査で、讃岐うどん用小麦粉のほとんど90%がオーストラリア産。農業試験場が、それではいかんと「さぬきのゆめ」という新しい国産品種を栽培するようになりました
《 放射能の測定で安心な製品を 》
栽培地の放射線量を測っています。自然放射能も浴びているので、私(63歳)くらいになれば将来にあまり影響はありませんが、喜んで食べるものでもありません。会社としても放射線量を測らなければということで、各畑で空中線量を計っています。岩手県・南部小麦の畑で0.03マイクロシーベルトでした。青森県の野呂さんのところで0.02。他にも北海道の馬鈴薯畑で0.017。海を越えて原発から遠ざかれば、基本的には放射線量は減るようです。
 ここで考えられる事は、その日その日の風向きによって、放射能を含んだ物がどう流れたかで影響が変わります。福島から茨城・千葉を通り抜けて、神奈川でドーンと出たというのは、順当に考えれば風で飛んだということしか考えられません。
 収穫前に畑で計って、放射線量が多かったらしっかりやらにゃいかんということで測っています。会でお取り扱いしていただいているホットケーキの中に入っている小麦粉の放射能検査も、検出限界は1ベクレル以下で不検出でしたので安心です。
《 情報公開 》
 これからの取り組みということですが、QRコードを包装袋に付けています。小さな数センチ角のもので、携帯電話のバーコードリーダーで読み取れます。
 これで分かる事は、昨年の収穫風景・生産者の名前などです。もうすぐ今年の物に替わります。QRコードが便利な事は、どんな事でも消費者に情報をお伝えできる事です。たとえば、放射線検査のこと、生産工程のこと、使い方メニューなど、情報をどんどん出せます。安心情報を出せる、ということを考えております。
 ご清聴ありがとうございました。
桜井食品 取扱い物品のページへ 
▲上に戻る

みりんから歴史をひもとく
2011 10/28
安城市文化センター

白扇酒造(岐阜県加茂郡)
社長 加藤孝明さん
         

 人間としては安全なおいしいものを食べるということがまず一番の大事なことですが、原発の事故以来、世の中が非常に歪んでしまったような感じがあります。我々もお米を扱っているので、常にお客様からお宅のお米は大丈夫かと聞かれます。今のところ岐阜県あたりは大丈夫のようです。みりんは三年熟成していますので、現在売っているみりんは大丈夫なのですけれども、今年の収穫分からは、大丈夫とも言っていられない事態です。原発事故では食品を扱う全ての業者が非常に大きな被害を被ってしまいました。また、お客様も心配のあまりにいろんな情報が飛び交い、一年間でどれだけ食べたらどうなのか、わからないので、不安の中に落とされてしまったというのが現状だと思います。

《 みりんはお酒 》
今日は折角、みりんのお話をできる機会をいただきましたので、一番基礎的な部分をお話ししたいと思います。みりんというのは調味料だと思われる方も多いのですけれど、元々、お酒の名前です。日本酒とか焼酎とかワインとかウィスキーとかの中にある、お酒の名前です。ですから、財務省のお酒としての管轄の中に入っております。
《 知っているようで知らないお酒 》
 皆さんお酒のことご存知ですか?ちょっと余談なのですが、うちのせがれが東京農大の焼酎の先生の下に居たものですから、焼酎のエキスパートになって、畑に芋ばっかり植えて、今芋だらけで丁度収穫期に入って、今日、持ってくればよかったなあ。畑に猪が出て、借りた畑が一つ全滅状態になって大ピンチ状態に陥っています。(今回、会扱いの芋焼酎、「花魂」)
 今お配りしているのは、全部みりんの系統です。柳蔭(やなぎかげ) (写真右端)は、実は、江戸時代はこれがみりんと言われていました。
 それが江戸の末期になって、非常に濃いタイプ、甘いタイプが出てきました。それが三年熟成のみりんです(写真左端)。これを十年寝かせますと古々美醂といって、こういう風に真っ黒けになってしまうのです(写真中央)。
 醸造品は、味噌でもしょう油でもそうです。ほとんどできたてというのは売らないのです。やっぱり時間を置いて熟成させるのが大事だと思います。
《 お酒の醸造 》
 お酒はアルコールですが、アルコールは何からできるか?酵母が発酵し、アルコールを作り出すのです。アルコールになる前は糖分です。糖分があるものを水である程度の濃度にして、酵母を入れてやると発酵してアルコールができます。ワインはブドウのジュースの甘味に酵母が入ってアルコール化したものです。
例えばビールや日本酒は米や麦から作りますが、糖分がないので麹や麦芽を使って一旦糖分に変えます。これに酵母を足してアルコールを作ります。パンを作る酵母も一緒ですが、お酒造りに向いている酵母なのか、パン作りに向いている酵母なのか、同じ酵母でも性格が違います。ビールの酵母を持ってきますと、日本酒でもビールの味のするような日本酒ができます。
《 愛知県は日本でも醸造の最大産地〜粕漬も美味しい 》
 愛知県は今やトヨタとか、車関連の工業製品のメッカになっています。住んでいてもあまり意識がないと思いますが、実を言うと昔から大醸造産地なのです。漬物では、みりん粕とかを使って守口漬ですね。愛知県は実は食の宝庫なのです。
《 余った酒粕をめぐる三つの職業 》
 江戸時代中期前の1700年ぐらいに日本の醸造関係が大きく変貌します。神戸の灘で日本酒の大革命が起こるのです。生?(きもと)と言いまして、その時から日本酒を冬だけにしか作らなくなったのです。それまではみんな、甘いお酒だったのですけれど、灘で薄くて辛いお酒を造ったのです。今も端麗辛口なんて言いますが、薄くて辛い酒は、原価が安いわけです。糖分がアルコールに変わりますが、全部アルコールに変えてしまえば、沢山できるんです。安い酒の方が、人気があるから馬鹿売れしたというのが灘の酒です。
 灘の酒は、江戸で大評判になって、大きな船に積んで、江戸へ持っていくわけです。灘では酒を量産するために、吉野の杉を使って桶と樽を作ったのです。これが、日本酒がものすごい産業になった最大の原因です。桶というのは、杉で作りますから、結構大きなものができます。
 灘の酒の足りない部分は半田(愛知県)から出したのです。半田周辺は大醸造産地で、灘ばっかり目が行くの
ですけれど、実は半田が影の支えをやっていたのですね。こうして大量に酒粕が余って、その酒粕を巡って次の三つ職業ができたのです。
◆ 一つは「酢」 
 お酒がたくさんできる、そうすると全部酢にして売ってしまった方が多分儲かったのでしょうね。
 酢を造るには、まずお酒を造るわけですから、米を使うわけです。昔、米はめちゃめちゃ高い、高いというよりもお金と同じでしたから、動かせないわけです。逆に酢を作ると売れるので、うまく考えたと思います。
◆ もう一つは「漬物」 
 灘と愛知県には漬物屋さんが多いのです。
 奈良漬は多分奈良で開発され、ほとんどが灘の酒粕を使っているのです。周辺が奈良漬の産地になった。
 それから守口漬は、元々は大阪の守口がスタートです。豊臣秀吉が守口で食べた漬物が美味しかったので守口漬と名前をつけたのです。それが岐阜県へ飛び火して、愛知県へ来たのです。
◆ 最後が「みりん」 
 元は灘の周辺と愛知県の周辺にしか、みりん屋がありませんでした。
 全国的に今でもみりん屋は限られています。
《 日本のみりん文化 》
 みりんは流山という千葉県に有名な醸造産地があります。でもやっぱり愛知県がトップです。その次は灘の周辺です。あと、瀬戸内海とかに点々とあるだけです。文化の高いところにしかないのです。元々みりんを使う範囲は大阪、京都から東京までです。他の県では、ほとんどみりんを使うレシピがないのです。
《 みりんの原料『焼酎』の伝来 》
 お酒を飲んでいる人も意外と知らなかったりするのが蒸留酒です。アルコールの沸点が78.3度ですので、たとえばワインを熱して、80度以上になってくるとアルコールが沸騰するのです。それをもう一回ここで冷やして集めてきて液体にします。ワインを蒸留すると、ブランデーです。最初は真っ白で出てきます。ブランデーが茶色いのは、木の樽の色が移って茶色くなるのです。たとえばビールを蒸留するとウィスキーができます。ウィスキーも木の樽に入れておくから茶色くなるのです。こういうのを蒸留酒というのです。これはメソポタミアの時代、紀元前3000年位に作られました。
 その頃に焼酎は、作り方はわかっていたのです。ところがお酒じゃなくて、ずうっと薬として扱われてきたのです。
 イタリアのフィレンツェで起こったルネッサンスで錬金術を始めて、大型の機械を作ったところから、これでお酒を造って行くわけです。西回り東回りで伝わってきまして、日本へは1543年、戦国時代、ポルトガル人が持ち込んだ鉄砲が種子島に伝来し、蒸留の技術も入ってきました。
《 みりんの製造工程 》
  みりんというのは原料に焼酎がありますので、焼酎が伝わってこないと、作れません。戦国時代とは言っても日本では比較的新しいお酒です。海外から入ってきたアルコール度数の高い飲み物を使って、     もう一個別な酒を作ったというのが、みりんの起源になるわけです。なかなか奥深い部分があると思います。
        
《 ご飯と餅米 》
   次にみりんの原料の餅米の話をします。平安時代の大饗(たいきょう)の宴という有名な絵がありますが、多分日本の食べ物を描いた、これが一番最初ではないでしょうか。
 実はここで重要なのはご飯の盛り方です。みりんは餅米で造ると言いましたが、これは餅米です。昔、貴族は餅米を食べていたのです。
 一般の人はウルチ米を食べていました。玄米に近いものをぐつぐつ煮て、おかゆみたいなものにして食べていたようです。ということは、餅米は地位の高い人の米という認識が日本人の中にあるということです。たとえば神社に納めるのも餅米が多いです。お餅を搗いて納めるとか、我々は日常に餅米を食べることがほとんどないのです。なぜかというと、地位が高い人の米だからです。ですから、お祝の時しか出てこないというのが、風習になったのですね。たとえば結婚式の時にお赤飯を炊くとか、子供が生まれたからお祝でやっぱりお赤飯を炊くとか、年末越えてお餅を搗くとか、こういう何かの節目にしか餅は出てこないのです。餅を搗くなんていうと、「いいことがあったね」ということですから、そういう一つの流れの中の一番根っこにあるのが、餅米なのです。
《 鏡餅は蛇のとぐろと蛇の目 》
 もうじきお正月が来て、鏡餅を作ります。
 でもこれがなんであるかを知らない人が多いようです。実は蛇がとぐろを巻いた形で上から見ると丸です。天照(あまてらす)の鏡は丸で、二段あるから二重丸になっているのです。この模様を蛇の目というのです。蛇の目傘というのは丸が二つ書いてあります。利き酒を飲む時のぐい飲みの底のわっぱを蛇の目というのです。これがなぜ蛇がとぐろを巻いているかというと、とぐろを巻いた状態が蛇に一番緊張感が高いときのことをいっているわけです。
 昔は蛇が近所にいっぱいいたわけです。一番人間がびっくりしたのは蛇が皮を脱ぐことです。昔は蛇の皮があるとみんな喜んで持っていったのですね。額に入れたり、財布に入れるといいと言って大事にしたのです。
 何を意味しているかというと、これは11日間自分のところに置いておいて、「今年の自分は、去年の自分と違った皮をむいた人間で、新しい人間として生きるぞ」ということを自分で誓う道具なのです。
今年は鏡餅買われて、置いてあったら、そういうものなんだっていうふうに、見てほしいです。
《 菱餅は蛇の鱗 》
 もうひとつ、三月三日の女の子の節句に二つ置いてあるのが、菱形の菱餅です。白と緑と赤のお餅ですが、これは蛇の鱗です。かわいい女の子が生まれたので、「蛇に守って頂戴ね」という意味です。お守りなのです。これを半分にすると三角形になります。これも蛇の鱗で新撰組とか、戦いに行くときに自分がやられないように蛇が守ってくれるという着物なのです。ですから、女性の服とかで、この三角とか菱形が出たら、今日は戦いに行く日だというふうに思わなきゃいけません。敢えて、そういう服を買ってきて自分で着てみると、自分がそう思っているということです。矢がすりみたいなものです。見ただけで、あの人は、今日は勝負の日だということがパッと見てわかったのです。
《 ○○○風なんてインチキ 》
 みりんというのは焼酎や餅米などを原料にして作っているので、それぞれに付随したお話をしているとすごく面白いものです。
 最後に、ビール風飲料で発泡酒が出てきて、今韓国からも雪崩打って入ってきています。みりんもみりん風調味料があって、同じことですが、世の中にインチキのものがのさばっちゃうと、メチャメチャになってしまうと思います。
元々江戸時代からの原型的なみりんの作り方があって、これに似せていろいろなものが作られますから、いろいろな会社が元々のみりんがどういうものか、わからなくなってきてしまったのです。
 私どものみりんは熟成してきますから、お宅で買われて置いておいても、だんだん色も黒くなってきます。たとえば、三年物を買われて、そのまま置いておいて十年経ったとしたら、古々みりんの色になってしまいます。すると自分で七年ものとか五年ものとかを作れます。ま、たくさんお買い上げになられて、毎年毎年並べて置いていっていただくと、「ああ、あいつが言ったとおりになったな」という風に思っていただけると思います。
 (会場から:それでも使えるのですね?)大丈夫です。大丈夫です。糖度が48ですから腐りません。
(会場から:すごく甘くなりませんか?)はい。甘くなります。
 ぜひまた次の時に、呼んでいただけますようにご期待申しあげまして、終わらせていただきます。ありがとうございました。
         ★会場では、3種類のみりんの味見もできました。(もちろん、車の運転手を除いて)
白扇みりん 取扱い物品のページへ 
▲上に戻る

こだわりの米作り 後継者として
2011 12/1
  東海市しあわせ村 

ライスロッヂ大潟
      黒瀬農舎 黒瀬友基さん
(父親の正さんは、食管制度時代から
減反制度に反対し続けた伝説を数々持つ米農家です。)
《 放射能問題 》
大潟村は福島原発から300qの距離です。事故当時、冬型の天候で北から南への風だったのと、奥羽山脈が東北の真ん中を走る事で日本海側は比較的被害が少なかったです。3月の放射性物質の降下量は、1kuあたり東京16000 Bq(ベクレル)、千葉9000 Bq、静岡1000 Bq、秋田は69 Bqでした。
 ウチの現状の取り組みとしては、外部の検査機関に委託して稲・玄米・米糠など検査を実施し、11検体全てで不検出でした。(同位体研究所・検出限界1Bq/kg)今後も消費者が各自で判断できるように放射能に限らず情報開示に努めていきます。買いたいんだけど不安だという人に積極的にこちらも出来る限りの情報提供をし、最終的には消費者の方の判断にお任せしたいと考えています。
来年以降、これ以上土壌汚染が進む事は無いだろうと思っています。ただ、一番心配なのは肥料等人の手によって田んぼに入れるもので汚染する可能性があるので、徹底して対策をとっていきたい。肥料メーカーさんにもお願いし、現段階では全て不検出でした。今後も検査を実施します。自分の所で作っている堆肥や肥料についても原料に注意していきます。
《 大潟村・黒瀬農舎のご案内 》
 大潟村は丁度、秋田県の中央より海沿いに位置し、日本で第2の大きさの湖、八郎潟を干拓して作られました。昭和39年に出来、農家が入り始めたのは昭和41年から。外周50q、面積170ku、東京の山の手線がすっぽり入ってしまいます。580戸の農家が日本全国から入り、父は最後の昭和49年に滋賀県から入植しています。一戸あたりの農地面積は当初15haで今の日本の平均が2〜3ha位なんで規模としては大きい。これだけ効率的に大きい田んぼが使える場所は日本にはそうそう無いのではと思っています。人口が3000人位で村の中に住宅地は1ヶ所だけ。そこに600戸全部の家があり、保育園・幼稚園・小学校・中学校・診療所・農協のスーパー・温泉・ホテルがあり、インフラはそこ1ヶ所に整備されている形で、特に昭和41年当時、下水道普及率100%という非常に住みやすい珍しい農村でした。
 ライスロッヂというのは黒瀬農舎や昨年いらした阿部さん等、大潟村の14軒の農家が集まり出荷する時の名称になります。統一の基準に基づいて各生産者がお米を減農薬と無農薬の2種類栽培しており、減農薬は除草剤を1回のみ使用した物になります。一般的なお米は農薬が40成分または40回まで認められており、20成分を下回れば減農薬と言われる所、ウチでは3、4成分の1回分のみです。未来ネットにお届けしているのは無農薬の方で、除草剤を含めて一切使用しません。肥料はどちらも全部有機質の肥料を使っています。放射能の話にも関係してきますが、例えば使用する肥料を全て統一してしまえば、『この肥料使っており、放射能で汚染されていません。』と一発で言え、管理は楽です。しかし工業製品と違って其々の土壌や作り方によってその土地に必要な肥料など全部変わってくるので、其々の農家が判断して入れる物を決めています。除草剤に関しては3、4成分のものを1種類使いますが土壌への残留性の高い物、生き物に対しての毒性の強い物は避ける様にしており必然的に使える資材は2、3種類に限られます。農薬や肥料の使い方はそのように統一の基準がありますが、まずは美味しいというのが前提で、更に減農薬、無農薬で安全な米を作るにはどうすればいいかですが、基本的には量を追い求めなければ、美味しくはなるんです。量をとるか質を取るかって話ですが、一般的に今まで1俵幾らって売り方で、農家からすると味に関わらず量をとれば収入になる。もうちょっと遡ると昔は国が全部買い上げていたので味っていうのは全く関係なかったんです。
 質に関しては水分量やキレイさの基準はありますが、味については一切無かったので農家は量を求めたのです。ウチがスーパーで売っているお米より高くなってしまうのは美味しさを追求するために量を求めないからで、それを納得して購入して下さる方がいるのでやれています。主に首都圏、中部、関西を中心にした大都市圏の共同購入団体さんや、個人向けの宅配が中心になります。 
《 米作りの流れ 》
 無農薬栽培のお米作りの流れをざっと見ていきたいと思います。今回、原発の事故があり、新規にお米を探している方からも電話で結構聞かれたのが『お米はいつ、年に何回収穫できますか?今取れたお米は原発事故後の物ですか?』 春、まだ雪も残っていたような状況で、去年のお米なんで大丈夫ですよって話しても、意外にこの質問は何回もされ、これは農家にとっては常識だが、あまりにも常識過ぎて農家が説明してこなかったのが悪いのかなと思うくらい、皆さん納得して頂けない状況でした。
 簡単な年間スケジュールは以下の通りです。
   
 春、種籾の湯桶消毒という作業をします。種籾のカビや病気などを防ぐために、薬剤の消毒を避け60℃のお湯に10分程漬けて消毒するのが無農薬栽培では主流になってきています。本当は専用の湯桶消毒の機械があり、買うと3〜40万しますが嫌なので、リフトで桶の中につけてボイラーからのお湯を循環させてやっています。このボイラーが壊れてしまい父が修理をしました。消毒した種籾を発芽させた後に種蒔き作業をやります。苗箱に土、種籾、更に上に土と水を入れ、種籾500kg、土が大体15t。1箱あたり3、4kg位の重さをずっと延々積んでいきます。
 一般的にはハウスの中に並べますが、ウチの場合ビニールを使わずに露地で栽培する為1回苗箱に蒔いた物を30℃の室で3日間程おいてちょっと発芽させます。4千枚並べるので春、体が鈍っている時期は非常に辛い作業になります。一般的な育苗は上から水を撒きますが、有機肥料を使うとカビが出るので、ウチの場合カビを抑え水の管理も楽なので下に水を張ります。
 田起こしは、田んぼの土を耕します。田んぼって平らと思われがちですが、前の年に乾いたり乾かなかったりと部分的に土が下がったりするので平らにします。無農薬で作ろうと思うと高い所には水が入らず、そこに草が出て除草が大変になるので、平らにする作業は丁寧にやる必要が出てきます。
 天気が良くないと作業ができないので、天気が良い時は夜までかかってでもやらないといけません。レーザー光が水平に出て受光機が受けた高さになる様に機械を自動的に上下させ土をならし、夜中でも作業はします。
 肥料散布はウチの場合、ひとつはウズラの糞の有機肥料です。ウズラは抗生物質を使っていない餌が多いので選んで購入し、もうひとつは自家製の米糠を撒く様にしています。
《 手作業の草取り 》
 ここまでは無農薬でも減農薬でも農薬使った作業でも全部一緒ですが、田んぼに水を入れて代掻き、田植え、田植えが終わった後の除草作業からは無農薬の作業になります。ウチの除草機は、前はエンジンで車輪が回って苗と苗の間の草を潰していく物で、機械の幅が大体3m位で田んぼ側が200m、奥行き100mなので1日に何十往復もして全部潰して行きます。
次がパートによる手取りの除草です。機械は苗の株の近く、株と株の間、縦の列が除草できないので、残りは全部人海戦術でやります。6月の半ばから7月の下旬まで、ずっと腰を屈めながら片道100mやるので、6月初めの頃は比較的涼しく元気なので2往復3往復サーッと行ける。徐々に暑くなってくると効率も落ち、最後は午前中で100m奥まで行けるか行けないかになってしまう。理想を言うと、本当は除草をしちゃいけない、土作りや春の耕し方で草が出にくい環境を作るといいと言いますが、残念ながら出ますので、1日10人から20人入って、延べ400人位欲しい。ただ人を集めればよい訳ではなく、田植機が無かった時代に実際田植えをしていたおばさんたちでないと難しい。そうなってくるとパートのおばさんの高齢化が課題で今から人が増える見込みはない。で、中国から研修生として人が来る制度もありますが、稲作ってのは基本的にはほとんど機械化できるので、問題は無農薬の場合、この6〜7月2ヶ月間に『ドバッ』と来てほしいだけなので、通年通じて研修生が来るとか人を雇い入れるというのができないので難しい。除草ができないと雑草が増え、翌年に持ち越しになりもっと大変になる、おばさんが更に減るという悪循環になって、もうそろそろ根本的な対策をしないと厳しい状況にきています。人に頼れない以上、市販の機械を自分たちで改良しながらやっています。除草機の開発をしたいという機械メーカーもいます。機械で100%全部できるとは思わないのですが、おばさんたちの手間を減らし少ない人数や家族でできる様にしていければ、もうちょっと無農薬も続けられるかなと思っています。非常に難しいですが色々な取り組みをやっています。
後は7月末で水を落とし田んぼを乾かしながら稲に穂が出てきて、9月の半ば頃から稲刈りが始まります。この様な流れです。
 ライスロッヂとしてブナの植栽活動もやっています。大潟村は、湖をつぶして作られ、元湖だった所に周囲から13、4の川が流れ込んでいます。やっぱり山を作る上では広葉樹が重要じゃないかという事で、ブナ等広葉樹を植える活動をずっとやっていて今年で19年目になりました。11月3日に開催し毎年100名前後参加していただいて、今まで1万5千名を超えました。来年は20周年で、どんなイベントをやろうかとみんなで悩んでいる所です。
《 後継者、TPP 》
 簡単な話ではないのですが、後継者としての話と、今後農業を継続していく上で関係してくるTPPをまとめてみます。 
 大潟村の農家の皆さん元気で、父も68になりましたが当分元気とは思いますが・・・(笑)大潟村の農地は平均17ha位で比較的大規模な事と、果樹や野菜とは比較にならない位、機械化が進んでおり農業の中では楽な部類になるので、後継者がいる地域になります。かえって不況時には都会に出ていた息子を職が失い帰ってくるという場所になっています。ただ、昔は経済的に安定していたんですが、米価も段々下がってきて単純に17haで米作っていれば安泰ですよって時代でも無くなってきているので、大規模化するとか差別化するという事が必要になってくる。ぼちぼち皆さん考えなきゃいけない状況になってきていると思います。
 自分が農業を始めた理由は、6つ上の長男が東京でサラリーマンになり結婚して、気付いたら埼玉にマンションを買っていた。これは帰ってくる気はないなと父も悟ったらしく、継げというプレッシャーがこっちに来まして。農業って作る方には最初あまり興味無かったんですが、東京でサラリーマンやっていた時に商品売ったり企画したりという事が楽しいなというのがあり、ウチの場合、作るだけじゃなく、それを未来ネットさん含めてこだわりを持って売っている所があり、楽しいだろうなと。実際帰ってきてやっていると、好きでないと言っても作らないといけない。作るのも売るのも色んな工夫が必要で、そういう所も楽しくなり、今5年程。大変ではありますが楽しいかなと考えています。
 ライスロッヂのメンバーの半数程度は後継者が既に就農しているか、もしくは就農予定の人が多い。村の中でも後継者が多いのは、昔から有機やこだわりを持ってやっており経営的に安定している事や、考えがあって継いでいる人も多いのかなと。
 これからは、ただ作るのではなく、どの様に作るか考えていかなくてはとよく言われますが、農業に限らず当たり前の話で、米は今まで作れば政府が全部買上げていた事がむしろ不思議な話で、今から他業界と同じ様にやっていくべきだと思っています。
 最後に、TPPについて賛成、反対よく聞かれてですね、一部の賛成する農家さんは、TPPで輸出しましょう、輸出したいなという感じではなく、TPPで外圧がかかると日本の農業に構造改革が起こり、規模が小さい農家は淘汰されて大規模化が進んで、もっと経営合理化と流通構造改革が出来るだろうと賛成している方がいるんです。けれど現実的には、TPP対策や選挙対策として開放する代わりに今まで以上に農業に補助金をあげるという結論になるだけだと思うんですよ。昔のガットの時、6兆円位補助金が出てきた時に『農家と消費者がもっと交流すべきだ』と、農村に素敵なホテルを建てた。結局あまり意味のないお金がどんどん増すだけ。今回もますます構造改革が遅れるだけになるのでないかと思っています。個人的には消費者としての考え方が強くて、遺伝子組み換えですとか海外産農作物が増加する、残留農薬の問題等も勿論あるんですけれど、日々食べる物をすごく遠くから持って来るというのが、経済的に合理的なんでしょうけれども正しいのかなという純粋な不安・疑問があって、これはもうちょっと考えた方がいいのかなと思うんです。けれど、それを農家が言うと単に自分の立場が危うくなるからだろうと言われるので、この問題に関しては積極的に賛成もしないし反対もしないと、そうしかならないのかなという風に思っています。で、TPPに関しては農業とか工業会では特に重要な話だと思うんですけれど、それ以上に消費者にとって非常に重要な事だと思うので、消費者側が日本の農業はこうあるべきだと考えて最終的に賛成、反対という形になってくれればいいのかなと思っています。消費者の多くが海外産の農産物で十分という考え方であれば、日本の農業に関して補助金を出して守る必要もないでしょうし、そういった形になっていくのも仕方ないと思っています。
         
大潟村 黒瀬農舎の無農薬米 取扱い物品のページへ 
▲上に戻る

未来ネットHOME