2019年9月11日 愛知産地研修旅行 報告

 愛知県内生産者巡り日帰り研修
武豊→幸田→岡崎→豊田
(参加者40名)

 伝右衛門たまり集合
▲参加者一同 伊藤商店さんの歴史を感じさせる看板の前で
【日 程】2019年9月11日  
武豊町の伊藤商店(傳右衛門たまり) 見学

  (以下クリックで該当箇所を表示)
平岩農園(無農薬〜減農薬ぶどう)
ききょうや(石窯パン)
いしかわ製茶(有機抹茶)

 参加者の皆さんの感想文
江戸時代から続く伊藤商店さん
10代目の社長さんからお話を伺いました。
 伝衛門10代目
<この地域主流の豆味噌>

ここで作られる味噌は、東海3県を中心に造られている主流の豆味噌で、色でいうと赤味噌の部類です。他の地域に行きますと、お米を使った米味噌ですとか、麦を使った麦味噌などがあります。この辺りの豆味噌は、それぞれの蔵で住み着いている菌ですとか、熟成期間、塩水の量ですとか違うので、どの蔵でもそれぞれの特色って出てきます。
<伊藤商店の特徴>

豆味噌の熟成期間は1年から1年半以上、多くて2年が多いんですが、うちの味噌は3年以上寝かせてるのが特徴です。寝かせるほど、味が良くなっていきます。
大豆は国産の丸大豆を使っていまして、産地は愛知、北海道、富山、滋賀の物を業者さんから買っています。
杉の桶を使っているというのも特徴です。杉の桶で造ったのとステンレスでは、味も風味も全然違うとおっしゃいますね。やっぱり杉の木は菌が住みつき易いという風に言われて空気があり菌が生き生きと住める環境になっています。後は、見えないけれどもこの蔵、桶にいい菌が住み着いているって言われまして。ここだからこそ良いものが出来るっていうのがあります。だから下手に建て替えとかできないですね。
伝衛門木樽

年代を感じさせる木樽
真剣に説明を受ける参加者
よく、タガが外れるって言いますよね。竹のタガなんですけど、これが切れてしまうともう職人さんがいないので、作れないんですね。なので、鉄で縛って補強して、1つ1つの桶を大事に大事に使っています。この桶自体も100年とか150年とか200年使われているものです。この武豊町に250年前に取引をやっていたという記録だけは残っているんです。

<その昔は酒造りの桶>

この一帯は元々お酒を造っていて、ここも最初はお酒だったらしいです。明治の初め頃にこの辺りのお酒が売れなくなり、味噌造りに代わっていったらしいです。お酒を仕込んだ後の桶はキュッと締まって漏れ難いので、味噌蔵に代わるのにもすごく条件が良かったらしいです。木桶も作れる職人さんが全然いなくて、小豆島で復活プロジェクトがやられているらしいです。
天然の味噌、溜り桶の大きさは統一されていません。大きなものは3トン分くらい入ります。隣のは4トン、小さい奥のは2トンちょっと。製品にするときも天然でやっているので、まったく同じにはならないですね。上の方と下の方だとまあちょっと下の方が味が良かったり。ちょっと湿っぽく、水がたまったり、溜まりがたまったりするので。下の方が柔らかかったりと色々あるんです。なので、2つの桶とか3つの桶とか出して、混ぜ合わせて均一にしています。
うちの味噌は添加物を入れていませんので。こういう形になっています。
伝衛門紹介パネル 溜りという種類のお醤油を造っているんですけれど、ふつうのお醤油というのは、小麦が大半なんですね。うちの場合はこのお味噌を搾っているので大豆と塩しか使っていません。なので小麦アレルギーの方にも使って頂けるというのも特徴です。この溜りも熟成期間が3年以上仕込んでいるのでふつうの溜りの倍くらい旨みがあります。

外国からも評価されてテレビで紹介
テレビで紹介されたり、有名シェフもステーキソースの隠し味に使ったりと紹介されました。

取扱い物品ページへ>本格醸造みそたまり
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【平岩ぶどう園】
幸田町で薬剤処理を使わず種ありぶどうを育てている平岩農園にお邪魔しました。
<ぶどうと天気 >

路地はなくて全てハウスです。ぶどうは雨に弱い果物なので。条件に少しでも合わせるといいぶどうができます。日本はどうしても湿度が高く、天気が毎年毎年違い、今年も7月中は結構、雨が降って温度も低くてとても過ごしやすかったけれど、8月に入ったら一気に温度が上がっちゃって、お盆なんか凄く暑かった。
ぶどう平岩さん
<雑草の役割>

見学は一応受け入れてはいません。今回、こんな形になるとは思いもよらず。草が生えているのはうちの基本。草生栽培なので除草はしません。微生物やいい昆虫がそこに生きられる様にしています。そうでないと、その昆虫が上に上がってしまって、これに害を及ぼすのでそういうことを考えながらやっています。もう1つは、暑くなると、水分が蒸発する乾燥の予防にもなるので、草はその部分では大事なんですよね。ある程度草も生える所でないと、ぶどうも湿気には弱いです。けれども、乾燥もひどいと弱い。
<ぶどうを始めた経緯>

父が米を始めて、主人は父と同じ事をやりたくなかったのでぶどうを始めて、48年くらいたってます。
高校は安城農林を卒業して3年間、ぶどう農園に修行に行きました。きっかけは長野の「きじやま」っていう産地なんですが、物凄く綺麗なぶどうを見たそうで。これだって思ってそれで始めました。向こうは産地なんで条件が揃っていて寒暖に差もあるので綺麗なぶどうが出来るんですね。
ぶどう園甲斐路 それをここに持ってくるのは難しい話なんですが、その当時は種なしはなくて、やり始めて、まだ若かったのでどんどん面積を増やしてって、この畑の10倍くらいを自分の所だけではなくて、借りて開墾して、自分達で整地して、棚とかも作りました。
種なしばっかりどんどん増やした時代です。種なしが何でいいかっていうと高価だったから、何も知らずに何も考えずに種なしの先駆けだったのに、そのまま作り続けて行くと「何か違うよな?」と。その頃は農薬を15回ぐらいかけていましたね。
<不自然な作り方に疑問>

見ていると、農薬いっぱいの作業をする主人が若いけど体がとてもえらそう(辛そう)で。作業をしている時もそうだし、作ったぶどうも種なしぶどうは農薬をいっぱいかけて自然じゃない。ぶどうがみんな同じ形なんですよ。皆がそういう風に作るんですよね。ジベレリンや農薬をかければ出来ちゃうんですよ。
今のシャインマスカットもそうですけど、あれもね、農家に言わせれば、作りやすいぶどうなんです。誰かがブームを起こしたので、高価なぶどうになっちゃったんです。あれはただ甘いだけです。
人間の食味って5つの味があると思う。自然に作っていくとそういう味になると思う。それを目指してきました。
<ぶどう作りの本場を見学>

体も壊していくし、ぶらっと本場ヨーロッパを見にいった。そのままの形で切って置いてあった。農薬はかけてあるかもしれないけど、何十年も前からだと思いますが、ヨーロッパはジベレリンを使うこと自体禁止されているから、もちろんかけてない。種なしにはしていない。で、そこを見て、本物を食べて、これは違うと思って。そこから種ありに変えました。
ぶどう園見学
<変えてから苦難の道>

どんどん種なしにしろというブームが起きていましたので、お客さんに「どうして種があるの?」という感じになって。でも、種があるのは体にいいこと。種の周りから栄養分・味とかもそこから作られていくこと。種があってこそ自然だし。自然じゃないのはあまりいいとは思えません。農薬をたくさんかけないといけない。農薬って仕方ないということで皆さん使っていると思うんですが、少しずつ蓄積されるっていうのは絶対あると思うんです。統計的にはないかもしれないけど、使わないほうがいいんじゃないですか。
<栽培の工夫>

ぶどうは凄く雨に弱い果物なので、フィルムをかける雨除け栽培をすべての畑にやりました。種ありであって、農薬を少なくしていって、なんとなく0回という年があって、それも、天候のおかげ様だっただけの話ですが。
それから、害虫に関してはイラガという毛虫に本当に困ったもんで、捕殺、自分でとっていたんだけど、追いつかなくて、もう葉っぱを全部食べられちゃう。本当になくなっちゃって。来年にも係る事なので、これはいかんと思って1回だけかけた。
今そこになっているのが甲斐路というぶどうです。
山梨県で品種改良して作られたものです。山梨県では路地でやっているので雨にかかっているから、今年なんかは凄い被害を受けてうんと少なくなっています。うちは何とか綺麗な色がきている。最初は真っ青なんです。だんだん白くなってきて最終的には綺麗な赤い色が出てくる。本当に自然の力で色がでてくる。
朝、収穫に来るんですけど、幸せですよね。ぶどうの色って発色した時って、イチゴもそうですね。ポッとピンクになった時、なんでもそうですよね。自然に出た色って幸せですよね。それをつまんで食べたりする時、体にも良い美味しいぶどう、農薬もかけてなくて一番収穫どきの5時とか6時の涼しい時に食べた物が一番美味しいです。体にもきっといいと思うんです。
私は農業のことを何も知らずに嫁いだんですけれども。看護婦だったんです。
でも、看護婦は病気になった方を看護するんだけれど、その前の食べるものをこういう風に作れて体を大事にすることに繋がるということ、いいですよね。そっちの方が病気にならない様に皆にそういう物が提供できる。一番いい仕事かなーと思ってます。

取扱い物品ページへ>有機飲料ジュース
       >ドライフルーツ種あり干しぶどう
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【ききょうや】
石窯で手作りパンを作っている可愛い元気なパン屋さんです。
ききょうや店

メルヘンチックな店構え(岡崎市戸崎町)
<ききょうやのこだわりは『普通』>
こだわりを話すように・・と言われましたが、普通です。自分の中の普通っていうか、自分の家で食べるのに、食べたいもの。食べたくないものは作らない。というこだわりでやっています。

<原材料について>
小麦粉は、なるべく愛知県産っていうことで、今はきぬあかりっていうのがケーキで使う粉、パンで使うのがゆめあかり+北海道のゆめちからというパワーの強い粉があるのでそれをブレンドして作っています。もちろん乳製品はよつ葉乳業、牛乳は大山です。なのでうちで作っているカスタードクリームは美味しい牛乳を使って作っていますので、大変美味しいです。酵母は音羽米の玄米を発芽させた自家製の天然酵母を使い、それに大山のヨーグルトを足してパワーアップしています。
<石窯について>
「そこまでやってんの?!」とよく業者さんにいわれるんですけど、ミルククリームも牛乳と脱脂粉乳と砂糖と混ぜて石窯でグツグツ煮ながら固まるまでじっくり煮ていきます。最後によつ葉のバターをたっぷり入れて作っています。スイートポテトパンのサツマイモを丸焼きにするのも、あんこも石窯の中で煮ています。
温度管理はしません。石窯はできません。勘です。シフォンケーキは窯の手前の方で、パウンドケーキは奥で焼きます。

<睡眠時間は・・・・?>
そんな感じでいつもやっているので、一人でやっていると、終わるとそうですね結局9時過ぎちゃったり、もうちょっと過ぎちゃったり、寝る時間があまりなく、今日は寝坊して2時だったんですけど、だいたい1時か2時に起きてます。厨房で石窯の前でずーとずーっとほんとに10何時間働いています。はい、働かされています。(笑)
ききょうや石窯
自慢の石窯の前で
ホットパンツと笑顔がトレードマーク

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【いしかわ製茶】
愛知の山間部で親子三代の有機抹茶栽培。
<祖父が山の上に茶畑を開きました>

祖父からお茶を始めたんですけど、昭和48年に豊田の町の実家の畑が線路に掛かりまして、その替地を貰うことになり、うちの父は農薬を使わない栽培が夢で、この山の寒い気候なら、冬の寒さで害虫が死んでくれるのではないかという仮説を立て、この標高650bの山の上にお茶畑を開きました。
すごく先見性があって、昭和48年の開拓の時に、将来的には大型機械の時代が来る事を見越して、なるべく平坦且つ、皆さん崖の真際までお茶を植えますが、そういうことをせずに、大型機械がUターンできる幅を上下に残しています。なので、今はかなり省力化が進んでいまして、5〜6人で出来るような体制を整えて来ています。
昭和53年にお茶を植え始めてから農薬を使っていません。そして、抹茶農家としては、日本で初めて有機JAS認定を取得しています。
石川三代目親子
祖父の時代に宿舎に使った古いバスを
バックに三代目石川さんファミリー

山間部の冬はとても冷えて、
祖父の話では、バスの中の
ポットのお湯も凍るほどだったという
エピソードもうかがいました。
石川初期茶畑
茶畑の見学
<開拓当初の畑>

開拓した時に寒い土地でのお茶のデータというのが全くなかったので、父がいろんな品種を植えて試しました。お抹茶の王様と言われているあさひという品種は昭和57年のつくで豪雨の崖崩れで半分埋まってしまいました。向こうの三分の一ぐらいがちょっと黄緑色をしたあさひで、緑が濃いのがかなやみどりという品種です。抹茶向きの高級品、ごこうがだいたい10列ぐらいあり、ごこうとあさひをブレンドしたものが未来ネットさんに扱っていただいている抹茶の上、森の妖精っていう商品ですね。
<上質なお茶は日本では評価されない?!>

ススキだけ刈り残してあるのは、秋に刈って束ねて、ひと冬寝かせ、春先、長いまま畑に入れて土をふかふかにするためです。そのススキを41年目の同じやぶきたの中でも、手をかけている、この4列の間に入れます。コンテストに出そうかと思っているので、お茶摘み時期になるとここだけは、50人ぐらいの方に1芽1芽手で摘んで頂いて、加工しています。
お茶の旨み、甘みの一番は光合成させないことなので、一面にかぶせます。ここでは特別にポールを建てて、芽が痛まないよう、直接触れないようにしますが、それがもの凄い重労働で、日本の方には苦労して作ってもあんまり評価されなくて、本当にやめようかと思ったんですけど、2012年からイギリスのお客さんに毎年全量買っていただいているので続いてます。やっぱ高いのには理由があります。
海外の面白いところは、いいものをくれと言われますね。日本は逆で、一番安いのをくれって言われます。
今もう世界的大抹茶ブームで、スイーツ向けの大分渋めの強いお抹茶が流行っています。うちは品質のいい、立てて飲めるお抹茶を出しているので、それが評価されている状態です。
石川自慢の茶畑
最高級品質のお茶をつくるために
丹精込めています。
お茶の加工は自宅の工場ですが、同じ豊田市のお茶農家仲間の人で石臼持っている人がいて、うちだけのオーガニック抹茶で挽いてもらえてます。多分うちだけですね、日本では。
生産量の97%ぐらいを西尾の問屋さんに出しているんですけど、全量海外です。3%ぐらいが自販ですが、かなり海外から今引き合いがあります。
<冷涼な下山(しもやま)>

平野部ですと苗からだいたい5年で収穫できますが、冷涼な気候のせいで、しっかり収穫できるまでに10年かかり、育つのにかかった分、今多分全盛期を迎えているのかなと思います。
冬は去年マイナス15℃まで下がりました。開拓のときに北海道の人を雇ったら、寒すぎるからやめさせてくれと言われました。伊吹おろしという凄い風が冬場は来るんですね。
雪は平野部の10倍くらい積もります。あんまり雪が積もると、お茶の木が折れることがあるんですけど、中途半端に降って風が吹くときは赤く枯れてしまうので、ある程度積もってくれた方が、かまくらのようになって、お茶が守られます。
 今新芽が出てますが、ある程度葉っぱを残しておかないと、冬の寒さで表面が枯れてしまいますので、これ冬支度です。
春先に、古い葉っぱが混ざらないよう、綺麗にいっぺんならします。うちはお抹茶全部一番茶で、冬を越えてきて栄養溜めこんで春先に伸びてきた一番最初の新芽を使ったお抹茶しか出してませんので、品質にはやっぱり自信を持ってます。
石川茶試飲
緑茶とグリーンティー試飲
<無名の産地のお茶が評価されて>

 父と僕で合計7度農林水産大臣賞を頂き、平成20年には内閣総理大臣賞、全国のお茶農家から年に一軒しか選ばれない賞を、下山のお茶の組合を有機へと父が全員説得したことが評価され、お茶では無名の豊田市、謎の産地に頂けました。(笑)
<草と鹿と猪>

山も除草剤を使ってないんで、全部手作業で草刈をやってます。この時期はずっと草刈です。地元のおばあさん達を頼んで入って貰っています。自分たちも勿論取ります。
お茶はすごく苦いので、鹿は冬場になって草が無くなると、お茶をかじり出します。有機肥料で落花生の搾りカスを撒いているんですけど、餌のようなんで、鹿も猪も、モリモリ食べ、あんまり頭にくるので狩猟免許を取ってやっつけました。
<夢の下山暮し>

自然がすごく好きで、今でも毎回この畑に来て仕事することが楽しみで幸せに思っています。凄く今日も美しいですし、自宅は豊田の町の方ですが、この下山という土地を愛してまして、去年から市営住宅に入って夢の下山暮しを楽しんでいるところです。息子が保育園に入るタイミングで戻ろうかなと思ってますけど。
<若手農家団体>

2010年に地元の若手農家と一緒に若手農家団体を作りまして、その会長をやってます。今30軒ぐらいで、学校に行ってしゃべったり、豊田の街中でカフェをみんなでやってて、そこの前で毎月第3土曜日にマルシェやってます。

取扱い物品ページへ>抹茶
いしかわ製茶の2代目ご夫婦は、2020年第49回日本農業賞大賞(個人の部)を受賞
長年の努力が評価されました。
おめでとうございます。
石川茶畑集合写真

生産者の皆さんの人柄をしのばせるお話の数々が聞けて感激!
お忙しい中、大勢でお邪魔したにもかかわらず、
誠意ある対応していただき、ありがとうございました。
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【参加者の皆さんの感想文から】
伊藤商店 傳右衛門たまりでは、
味噌蔵に入ると巨大な桶と重厚な匂いに圧倒されました。
(春日井市S)
桶を作る職人がいなくなり、昔の桶を修理しながら使用しているそうです。ステンレスのタンクでは桶で作った味噌の味が出せないそうです。溜まりを絞った後の味噌は家畜の餌になると聞き驚きました。(春日井市S)
蔵と桶に住み着いた菌を家宝として守り続け麹が二世紀以上発酵を繰り返し、最高に美味しいもろみを造られている事に改めて感動しました。(千種区T) 和食の原点でもある調味料の旨味が評価されているとか。たまりは少量しかとれず、手作業のため量産は難しく高価になる理由にも納得。(蒲郡市T)
200年もの間、その杉桶も麹も守り続けたと語る若い十代目の言葉。孫へのおみやげに味噌を。(豊橋市I) 長時間の激しい労働をされている姿が強く印象に残りました。(春日井市S)
平岩農園 ぶどう

奥さんの日焼けした身軽な体つき清明な雰囲気。果樹の手入れに完全燃焼されている人。無駄多い我身を恥じています。
(春日井市S)
種なしぶどうを栽培して体調を崩し、以降極力薬剤を使わないぶどう作りをしているため、畑の雑草を全て刈り取らずに残して、害虫などが雑草に付きぶどうに付かないようにする、そのような役割があるのにビックリしました。(豊明市H)
房の一番下の一つぶがおいしかったら房全体がおいしいとは目からうろこ!!(豊橋市I) ぶどうジュースを1回だけ濾すという加工所を探したというこだわり、夢を持ってワインや日本酒も作っているという意欲にも感心しました。(知多郡M)
ききょうや パン

比較的コンパクトなオーブンながら種々のアイデアの下、美味しいパンを作っておられる姿が印象的でした。(豊明市H)
お土産にいただいたパン、食パンはすぐ冷凍し、後日孫に出すと、もっともっとと奪い合って食べていました。(知多郡N)
輸入小麦から農薬(ラウンドアップ)の成分が検出されて問題になっている中、こだわって、最近開発された愛知県のパン用小麦「ゆめあかり」を使ってくれています。 (知多郡M) あの細い体から、とてもパワーを感じるお話が聞けました。
パン、ケーキ作りは全て一人でやられていて、寝る時間はあまりないのに「こだわりは?」と聞かれて、「自分や家族に食べさせたくないと思うものは作りません」ときっぱり言われたのが、印象的でした。材料の中にあるランニングエッグは、放し飼いかなと思っていましたが、「かける」=「卵かけ用」をかけてあって、大阪のオジサンギャグ?か!でも安心安全な卵だという事、おもしろーい!(瑞穂区S)
いしかわ製茶 抹茶

無農薬栽培の理想・信念の下に続けられて努力は海外にまで認められてきており、食に対する拘りの大切さを再認識できました。(豊明市H)
先代の新しい農業に挑戦する勇気と、機械化を見越した先見性に感銘を受けました。また、良い茶を作っても日本では買い手がなく、欧米でその真価が認められ、最高級のものは輸出されていると聞き複雑な気持ちになりました。(春日井市S)
下山高原のいしかわ製茶では、「山を開拓した時から農薬を一切使用していません」と語る若き三代目がたのもしく、すてきな奥さんにいただいたグリーンティで疲れがふっとびました!!(豊橋市I) 便利な市内でなく、この山の中でお茶を育てている時が一番好きですと力を込めておっしゃった姿、素敵でした。県内でもこんなに素晴らしい生産者がいらっしゃるのだと研修に参加出来た事を幸せに思いました。(千種区T)
人にも、ものにも自然への感謝も忘れず、肩ぐるまより感ずる親子の愛に出会えとてもうれしい一日でした。(昭和区M)
良い物が海外へどんどん輸出されている事はたいへん残念に思いました。(東区U)
全体の感想

私も消費者としての責任と信念を新たにさせていただきました。(守山区F)
若い世代の方々が伝統を受けつぎ、頑張っていらっしゃることをとてもうれしく思いました。(千種区O)
次に商品を食べる時、その方のお顔を思い浮かべることができて、楽しみが増えます。
(豊川市Y)
良い物を目指すと手間のかかる事が多いですが、苦労話にしないで、当たり前の事としてプライドと自信にあふれている様子を頼もしく思いました。(南区I)

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